■ アニメの話 ■

 2003年4月7日。
 アニメという題と、この日付でピンと来た方は、かなりのアニメ通と言って 良いでしょう。この日は鉄腕アトムが誕生したとされる日なのです。本物の鉄 腕アトムは現れませんでしたが、昭和26年「少年」誌4月号掲載の「アトム大 使」は、昭和38年日本初の連続テレビアニメーション作品「鉄腕アトム」(全 193話)として再登場。原作者である手塚治虫氏自ら脚本を書き、絵コンテを描 いたこの作品は、40年を経た今でも魅力を失っていません。そして口(くち)パクやセ ルの使い回し等、制作における手法においても、テレビアニメの原点とも言う べき作品であったと言えましょう。
 一方、世界に衝撃を与えた1951年のアメリカ・ディズニー映画「ふしぎの国 のアリス」から遅れること7年。これに刺激を受けた人達が東映動画に集まり、 国産初のカラー長編劇場版アニメ「白蛇伝」を創り上げます。これを見て感動 した高畑勲や宮崎駿といった、現在アニメ界で活躍中の面々が東映動画に入社。 演出や原画を担当し、1968年に「太陽の王子ホルスの大冒険」を創ることにな ります。その後、宮崎監督はNHKテレビで放送された「未来少年コナン」や 監督の名を一躍有名にした「風の谷のナウシカ」で独特の近未来を描き、「とな りのトトロ」では幼い子供達にまでその名を知られるようになります。
 そして2001年7月20日に封切られた「千と千尋の神隠し」では本家アメリ カ作品を抑えて、長編アニメ部門でアカデミー賞受賞。世界に冠たるジャパニ メーションの実力を見せつけることとなりました。
 と言っても、別にアニメの手法が斬新だとか、技術が特別優れているわけで はありません。「アニメーション=子供達に見せる動く絵本」的発想から脱却す ることが出来ず、オリジナル・ストーリーで作品を創ることがあまり得意でな いアメリカ・アニメと異なり、たとえ原作があっても自由奔放に登場人物を動 かし、別の新たなストーリーを創ることが出来る日本のアニメ作家の脚本の勝 利、とでも申しましょうか。

 実は「千と千尋の神隠し」は宮崎監督の友人の子供がアニメ制作会社のスタ ジオ・ジブリに遊びに来た時のエピソードが下敷きとなり、「油屋」はジブリそ のもので、登場人物にはそれぞれモデルが居て、なんと宮崎監督は「釜爺(かまじい)」だ とか。鈴木プロデューサーが「湯(ゆ)婆(ばあ)婆(ば)」というのは愛嬌として、「ここで働きた い」と言う者は、まずは働かせてみる、というジブリの会社としての方針まで もちゃっかりセリフとして使ってしまうあたり、本当に脱帽です。おまけにニ ックネームや名前を短くして、例えば千尋を千と呼ぶあたりもそっくりで、「こ のアニメは千と千尋という名を借りた、スタジオ・ジブリの内輪話だ」と断じる 方もいるくらいです。

 身近な題材でこれほどの作品を創り得るとはまったくもって驚きなのですが、 千年以上も昔の平安初期に神話でなく現代のSFにも通じる「竹取物語」を創 ったお国柄です。もじって漫画化するのは鳥羽僧正の「鳥獣戯画」以来の歴史 がありますし、作品としてまとめ上げる構成力についても、平安・鎌倉時代以 来、能舞台等で培ってきました。加えて江戸時代には歌舞伎で様式美と面白お かしく魅せる技術を磨いて来たことなども考えると、アメリカなどとは培って きたモノが違うと言って良いかも知れません。
 日本のアニメが単なるアメリカの受け売りならば、とっくの昔にアメリカ・ アニメに席巻されていたに違いありません。アニメとはいえ、そこには日本文 化の歴史に支えられた底力を垣間見ることが出来ます。

初出 2003.9
Last update Jan.4.2007

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