1926年、ガイ・R・ファウンテン(Guy Rupert Fountain 1900年〜1977年12月)はタンタル合金を主成分とする、
電解整流器「Tantalum alloy」を開発。「ガイ・R・ファウンテン社」を設立(後のタンノイ社)、Tannoyという商標で
生産、発売を開始することになります。 1933年、タンノイ社は2ウェイ・スピーカーを開発。ただし当初はアメリカマグナボックス社製のウーファーを搭載して いて、タンノイオリジナルのウーファーを搭載するようになったのは、1936年からです。 1947年、ロナルド・H・ラッカムらと、デュアル・コンセントリック・ユニットを開発します。アメリカのアルテック社が 開発した同軸2ウェイの604にヒントを得、自社製マイクロフォン開発の校正用音源として試作されたのがそもそもの始まり と言われています。高域はコンプレッションドライバーによるホーン型、低域はコーン型ダイレクトラジエーターとして二つ を同軸上に一体構造とさせて、シングルマグネットに二つのボイスコイル用ギャップを刻み込むという手法が用いられました。 そして1947年9月に大戦後初めて開かれたオーディオショー、「オリンピア・ロンドン展」に出典。14kHzまでの広帯域、 低ノイズを誇るデッカのffrrシステムに適したスピーカーとして、デッカの「デコラ」に採用されます。 初期のデコラはモノラル仕様でしたので、真ん中にデュアルコンセントリック、両脇にダイレクト・ラジエーターが二つ付いて いました。出力段には直熱三極管のPX4が搭載。ステレオ時代になるとスピーカーはEMI、出力段はEL34に変更されています。 1953年、デュアルコンセントリック・ユニットを搭載した「オートグラフ(Autograph)」がニューヨーク・オーディオショーに 発表、同時に発売されます。搭載されたユニットは全体に丸みのあるデザインとなり、銀色のハンマートーンの塗装のため、 「モニター・シルバー」と呼ばれ、1953年〜1957年8月頃まで製造されています。型番はLSU/HF/15で、オリジナルと同じです。参考までに申し上げると、「モニター」の正式名称が付くのは、「モニター・レッド」からで、これも「モニター15」 「モニター12」と呼ぶのが正式で、型名はLSU/HF15と記されています。 1957年8月から1967年にかけて製造されたモニターレッドとシルバーの違いはピンク色のハンマートーンで磁気回路を覆うカバーが 塗装され、名称の元となったのはもちろん、マグネティックギャップの改良が施され、磁束密度の向上、耐入力upが図られている 点で、初期モデルは飴色のセンターキャップ、後期モデルは黒色に変更されています。 さて、オートグラフの最大の特徴は、オールホーンシステムで、低域のホーンはバックロードタイプとし、ホーンロードを折り 曲げることにより小型化していること、超低域再生のためにコーナーと床をホーンの延長、つまり仮想ホーンとして活用するた め、左右に分割した「マルチセルラー・ホーン」を採用しています。 もともと、ガイ・R・ファウンテン氏はクラシック音楽ファンで、オーケストラの再生音がそれまでのスピーカーシステムでは 不満でならず、特に低域のスケールアップを図るため、業務用のホーンシステムの技術を導入しようと考えたと言われていま す。 こうして、モノラルでありながら、スケールの大きい、あたかもコンサートホールに居るかの様な立体感とハーモニーの 美しさを兼ね備えたシステムが出来上がり、直筆の署名(Autograph)をすべてに入れたところからも、自信の程が伺えると いうもの。 ともすると「モッコリ」してしまうオリジナル・オートグラフの低域。しかし当時のスピーカーシステムとしては、これだけ 低域まで伸びたものは劇場用を含めてもほとんどなく、コーナーに設置することにより、部屋全体がスピーカーシステムの一つ として働き、その再生する音に包まれる快感を一般家庭でも味わえるようになったという点では、特筆すべきことだったと思われ ます。 これは私見ですが、ステレオ化したオートグラフは、その考え方として、小さなヘッドフォンで重低音まで聴くことが出来る のと同じで、仮想巨大ヘッドフォンの様なものなのではないか、なんて考えています。 また、ガイ・R・ファウンテン氏がセパレートの2ウェイ方式ではなく、同軸型を選んだのは、当時の技術では位相管理が同軸 型の方がし易かったことも無関係ではないでしょう。 加えてモノラル時代でもマルチマイクで収録しているため、金管楽器が突出して聴こえたり、あるいはマイクロフォンの性能が 悪くてバスドラムのピークのある低域やコントラバスの伸びやかな低域をうまく拾えていないのを、電気信号をもとに一点音源で、 まるでその場で楽器でも演奏しているかのように、音を再構築させる意図があったのではないか、と思えてなりません。 1953年のタンノイ・カナダに続いて1954年にはタンノイ・アメリカが設立され、1955年に北米大陸の販売拡充を狙って、 エンクロージャーのデザインがそれまでの高級家具調から一新され、現在の形となります。 ちょうどモニターレッドが開発された1957年というのは、アメリカ・ウエストレックスの45/45方式によるステレオレコード、 イギリスのデッカとサグデンによるVL方式によるステレオレコード技術が開発された頃。その際、チャンネル間の位相特性が問題 となり、デュアル・コンセントリックがその再生においても優れている点がプロの間でも評判となって、アメリカではアルテック 604が、イギリスでは「モニター・レッド」(正式には「モニター15」)がスタジオでもモニター用として使われる様になります。 モニターレッドを搭載したオートグラフを1964年、かの剣豪小説家、五味康祐氏が輸入。「オーディオ巡礼」などの著書で一 躍有名になります。 さらに1967年、インピーダンスが15オームから8オームになったモニター・ゴールドの時より、TEACが輸入代理店となり、 本格的に輸入を開始するようになります。 しかし、1974年、工場が火災の為にユニット製造が不可能になり、旧・西ドイツのクルトミューラー社製のコーン紙による、 HP(ハイ・パフォーマンス)Dシリーズに転換することになります。HPDシリーズが完成した1974年、ガイ・R・ファウンテン 氏が引退してハーマンインターナショナル社に株を売却。同年、オリジナル・オートグラフの製造が中止となります。 けれども1976年TEAC社製エンクロージャーによるHPD385内蔵のオートグラフが新生・タンノイ社から発売されます。 1977年12月にガイ・R・ファウンテン氏が亡くなりましたが、1979年にはK3808搭載モデルを出し、その後タンノイ社は株 をハーマンインターナショナル社から買い戻し、現在に至っているというわけです。 1981年、N.J.クロッカー社長、T.B.リビングソトンらはハーマンインターナショナルから株を買い戻し、タンノイ社が復活 したのを記念に、それまでクラシックモニターで使われていたK3838のバージョンアップ版、K3839Mを搭載した、 かつてのオートグラフの流れを受け継ぐ容姿を誇るG.R.F.Memoryを発売。その後も改良を重ね、現在に至っています。 1961年からは10インチ・ユニットを製造、IIILZとして発売。1967年にMk IIとなります。 タンノイ社が復活して2年後、10インチ、25cmユニットを搭載した「スターリング」が発売となります。 1982年に発売した「ウェストミンスター」も、「ウェストミンスター・ロイヤル」と発展し、これに「エジンバラ」を 加えた4モデルを中心にその後も生産が続けられています。 1983年には、それまでタンノイ社の承認を受けてTEAC社で製造していたレプリカ・オートグラフが製造中止となっています。 そして、2001年。新たにタンノイ本社が「オートグラフ・ミレニアム」と称した、現代にマッチした「オートグラフ」を発売しました。 話はそれますが、タンノイはウエストミンスター等々、地名に関連した名称を付けるのがお好きな様で、 Ardenはシェークスピアで有名になった、イングランド中部の地方の名です。 Cheviotはイングランドとスコットランドの間に広がる丘陵地帯で、羊毛が盛んな土地柄。羊の料理が美味です。 DevonもDevon種牛(乳&食用牛として有名)というのがあるくらいでして、イングランド南西部の州の名称です。 Berkeleyはアメリカ・カリフォルニア州の都市で、カリフォルニア大学の所在地として有名。せっかくだったら、 Berkshireにすれば、イングランド南部のブチ豚(正確には黒ベースの白まだら豚)の産地だったのですが……。 ということからおわかりの様に、価格の高いものからA→E(Eaton)までのラインナップとなっているわけです。 現在、オリジナルのオートグラフを最も素晴らしい音で聴かせてくれるのところとしては、長野県原村の 「ペンション・ムジカ」 が挙げられるかと思います。メインアンプは広島の音楽家(フルート演奏家)のお手製で、WE-262B-349A-284Dのモノラル構成。 ステレオプリアンプはカンノ・スーパーパーマロイ・トランス結合式タイプSPU、プレーヤはガラード401、カートリッジは オルトフォンSPU-G、昇圧トランスはカンノSPU30、CDプレーヤーはフィリップスLHH1000という組み合わせで鳴らしています。 さすがにマランツ#1&#2の組み合わせによる、低域まで伸びて凄みがあり、スケール感十分で、箱鳴りまで良くコントロ ールされた鳴り方とはいかないかも知れませんが、サッと吹き抜ける高域の美しさといったら、20年以上20軒以上ものオート グラフを聴いてきましたが、最右翼と言って良いでしょう。低域は決して出過ぎず、モコつかず、見事なコントロールでした。 ペンションですから、宿泊可能。お願いすれば誰でも聴けるというのも嬉しいですね。 以下、タンノイ・スターリング、G.R.F.Memory、Autograph Millenniumの写真を掲載いたしております。 いずれも「銘機」に相応しい、スピーカーです。 |
タンノイ・スターリングです。真ん中にあるのはレプリカのMarantz model 9。 私は最初のスターリング、3代目のスターリング・TWと、続けて10年以上、スターリングを 使い続けました。室内楽を奏でる点では、G.R.F.Memoryよりも優れていると感じるくらい、 素晴らしかった! ちなみにスターリングはオリジナルは1983年発売:アッテネーターはボリウム方式。 2代目HWは1986年発売:アッテネーターからロックネジ方式によるTREBLE ENERGYコントロールを採用。スピーカーターミナルが変更。 3代目TWは1992年発売:バイワイヤリング対応。 4代目TWWは1995年発売:コルクバッフルから通常タイプになった。 5代目HE(ハードエッジ)はトールボーイ型で1998年12月発売です。 |
G.R.F.Memoryです。専用台を付けたスターリングより、こちらの方が背が高くなります。 TW,TWW,HE(ハード・エッジ)等、少しずつ改良が加えられています。ちなみに写真はTWWです。 このモデル、これだけ手の込んだ造りになっているのに、ペアで128万円。能率も95dBとよく、周波数特性は、 なんと29Hz〜25kHzと、このシリーズのトップモデルである、ウエストミンスター・ロイヤルよりも低域が出 るのです! スケールの大きいオーケストラ曲、ジャズを聴くにはうってつけです。 |
タンノイ・オートグラフ・ミレニアムです。 詳しくはこちらをご覧下さい。 |
こるくさんよりご提供いただいた1980年10月時点のタンノイのカタログを、日本国内代理店のティアックのご好意により、
HPへ載せても良いとのご許可をいただきました。また、他にもオリジナルや古いカタログをご提供下さった方々に、改めて、
御礼申し上げます。 画像はJPEGで、データ的にはちょっと大きめです。 印刷の時にはいったんダウンロードして適当な大きさに直してから行なってください。 また、戻る場合は、ブラウザの「戻る」で戻って下さるよう、お願い致します。 |
TANNOY Catalog 1970(代理店シュリロ貿易株式会社) | |||
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● カタログ表紙 | ● Monitor Gold | ● G.R.F. AUTOGRAPH価格他 | ● Speaker System and Loudspeaker Units |
● Rectangular York,Lancaster(左半分) | ● Lancaster(右半分),III LZ | ● モニターH.P.D.の構造 |
TANNOY Catalog 1980(代理店ティアック株式会社) | ||||
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● カタログ表紙 | ● タンノイの歴史 | ● タンノイのイメージ | ● Super Red Monitor中扉左 | ● Super Red Monitor中扉右 |
● Super Red Monitor | ● Classic Monitor | ● Buckingham Monitor | ● Arden Mk II | ● Berkeley Mk II |
● Autograph | ● G.R.F. | ● カタログ裏表紙 |
TANNOY Catalog 1990(オリジナル英文) | ||||
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● カタログ表紙 | ● ウエストミンスターのホーン構造他 | ● ツイーターのレベルコントロール他 | ● Stirling TW | ● Edinburgh TW |
● GRF Memory TW | ● Westminster TW | ● Canterbury 12 | ● Canterbury 15 | ● Westminster Royal |
● 特性表 | ● 裏表紙 |