■ 小倉の古墳・歴史的建造物 ■

北九州市小倉南北区の古墳や遺跡、歴史的建造物などを集めてみました。

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御座古墳群

御座(おんざ)古墳群(遺跡群とも表記)は貫弥生が丘・貫八幡公園の奥にある4世紀末、全長22mの前方後円墳と円墳。 中国の魏で製作した三角縁獣文帯三神三獣鏡の破片が副葬。

茶毘志山古墳

小倉南区東貫、国道10号バイパス沿いにある、全長54m、 北九州市内では荒神森古墳に次ぐ規模を誇る5世紀後半の前方後円墳。

上ん山古墳

茶毘志山古墳にほど近い、東貫の住宅地にある全長51mの6世紀前半の前方後円墳。

荒神森古墳

JR日豊線、中曽根踏切の傍にある、6世紀中頃に造られた 全長68mの市内最大規模を誇る前方後円墳。

両岡様古墳群

中貫本町にある6世紀末の全長27mの前方後円墳と径10mの円墳。

貫城跡(大字貫別府)

松尾神社から田んぼを挟んで真東の向かい側の高台にあり、 櫓からは南は貫山、東は周防灘まで見渡せたとか。 国道10号バイパスから貫川沿いに少し入って、さらに田の畔道を進んですぐの場所。

春吉・眼鏡橋

小倉南区春吉に架かる、大正8年に完成した眼鏡橋。

菜園場窯跡

細川忠興が陶芸工尊楷(上野喜蔵)に趣味で焼き物を作らせた「お楽しみ窯」。 赤池町の上野焼(あがのやき) の祖。

旧第12師団正門

あの、森鴎外も所属した小倉にあった旧陸軍第12師団の正門を、小倉城敷地内に移設したもの。

森鴎外旧居

森鴎外が陸軍第12師団軍医部長として、明治32年6月から約1年半、 小倉鍛冶町に住んでいた家を文化財として保存したもの。

高倉堡塁跡

沼本町三丁目交差点から高蔵山森林公園方面へ。 公園手前の行止まりから企救自然遊歩道に入り、約40分。 広場に残る明治33年竣工の砲台跡地。12cmカノン砲4門、 15cm臼砲8門設置。煉瓦造りの倉庫も8基ある。

金辺峠・島村志津摩の碑

1866年の第二次長州征討で、8月1日小倉城自焼。小倉軍司令官島村志津摩は 香春に臨時藩庁を置き、企救郡の農兵達を指揮して長州軍を金辺峠で迎撃。 幼い豊千代丸君は肥後へ逃れ、再起を期すことになった。田川郡の民により 建立された。

帝踏石

景行天皇(日本武尊の父。帝紀紀元71〜130年。実在4世紀前半?)が 土蜘蛛(土着の豪族)討伐の時、この花崗岩の巨石の上で戦勝祈願したと伝えられている。 小倉南区朽網西2丁目の住宅地にある。


Last update Jan.22.2009