御座古墳群
御座(おんざ)古墳群(遺跡群とも表記)は貫弥生が丘・貫八幡公園の奥にある4世紀末、全長22mの前方後円墳と円墳。
中国の魏で製作した三角縁獣文帯三神三獣鏡の破片が副葬。
|
茶毘志山古墳
小倉南区東貫、国道10号バイパス沿いにある、全長54m、
北九州市内では荒神森古墳に次ぐ規模を誇る5世紀後半の前方後円墳。
|
上ん山古墳
茶毘志山古墳にほど近い、東貫の住宅地にある全長51mの6世紀前半の前方後円墳。
|
荒神森古墳
JR日豊線、中曽根踏切の傍にある、6世紀中頃に造られた
全長68mの市内最大規模を誇る前方後円墳。
|
両岡様古墳群
中貫本町にある6世紀末の全長27mの前方後円墳と径10mの円墳。
|
貫城跡(大字貫別府)
松尾神社から田んぼを挟んで真東の向かい側の高台にあり、
櫓からは南は貫山、東は周防灘まで見渡せたとか。
国道10号バイパスから貫川沿いに少し入って、さらに田の畔道を進んですぐの場所。
|
春吉・眼鏡橋
小倉南区春吉に架かる、大正8年に完成した眼鏡橋。
|
菜園場窯跡
細川忠興が陶芸工尊楷(上野喜蔵)に趣味で焼き物を作らせた「お楽しみ窯」。
赤池町の上野焼(あがのやき) の祖。
|
旧第12師団正門
あの、森鴎外も所属した小倉にあった旧陸軍第12師団の正門を、小倉城敷地内に移設したもの。
|
森鴎外旧居
森鴎外が陸軍第12師団軍医部長として、明治32年6月から約1年半、
小倉鍛冶町に住んでいた家を文化財として保存したもの。
|
高倉堡塁跡
沼本町三丁目交差点から高蔵山森林公園方面へ。
公園手前の行止まりから企救自然遊歩道に入り、約40分。
広場に残る明治33年竣工の砲台跡地。12cmカノン砲4門、
15cm臼砲8門設置。煉瓦造りの倉庫も8基ある。
|
金辺峠・島村志津摩の碑
1866年の第二次長州征討で、8月1日小倉城自焼。小倉軍司令官島村志津摩は
香春に臨時藩庁を置き、企救郡の農兵達を指揮して長州軍を金辺峠で迎撃。
幼い豊千代丸君は肥後へ逃れ、再起を期すことになった。田川郡の民により
建立された。
|
帝踏石
景行天皇(日本武尊の父。帝紀紀元71〜130年。実在4世紀前半?)が
土蜘蛛(土着の豪族)討伐の時、この花崗岩の巨石の上で戦勝祈願したと伝えられている。
小倉南区朽網西2丁目の住宅地にある。
|