■ モーツアルトの話 ■


 モーツァルトは不思議な作曲家です。
 作家の五味康祐氏が「不幸にして私が狂人になったとき、(中略)狂人に音楽 がわかるものかどうか、その時になってみなければ分からぬが、モーツァルト とバルトークのものだけは、理解できそうな気がする」(西方の音 5.バルトー ク)とお書きになっていますが、モーツァルトの音楽は現世の雑踏から遠く離 れた世界で音楽を奏でているように思える時があります。「食うため」に王侯貴 族の要請に応じて数多くの作品を手がけ、辛い思いもしたに違いないだろうに、 レクイエムは別として、そういった気配をみじんも感じさせない作品ばかりで す。そして聴く者を構えさせず自然体に解き放ち、聴く人に委ねられた音楽を 奏でるように思えます。

 そういうことを考えると、モーツァルトの音楽はいろんな方が訪れる医療機 関等の待合室用BGMに最適と言えるかも知れません。もちろんじっくり聴き込ん でも良いし、作品が豊富で古今東西の名だたる演奏家が手がけていることもあ り、思い入れのある自分だけの特別の演奏というのを、選びやすいように思い ます。

 ちなみに最近私のお気に入りは、シュテファン・ヴラダーのピアノによるピ アノソナタです。抜群のテクニックに支えられた無心の境地を、この若手でウ ィーン生まれのピアニストが体得しているとはちょっと信じ難いのですが、オ ーストリアの血が聴かせる音楽というのがあるのかも知れません。

 ピアノソナタは他にも内田光子のエモーショナルな演奏、クララ・ハスキル の美しく心洗われる演奏、イングリッド・ヘブラーの美の極致を行く演奏、ピ アノの女王ラローチャの色彩感あふれる華麗な演奏、ブレンデルの奇を衒わな い堅実で真摯な演奏、指揮者でもあるバレンボイムの誠実でひたむきな演奏、 バックハウスの重厚で透徹した演奏、エッシェンバッハのさらりと流れるよう な演奏、クリスチャン・ツァハリスの熱気を内に秘めながらも軽やかで澄んだ 演奏、グレン・グールドの(特に第11番の)斬新で聴き飽きない演奏、グルダ のリズムが特徴的でどことなくジャズっぽい自由奔放な演奏、梯剛之の純粋で 透明な今まであまり聴いたことのない不思議な演奏等々、一言でその演奏者の 特徴を語るのは難しく、また危険なのですが、ざっと思いつくだけでもこれく らいはあり、本当にバリエーションが豊富です。

 ピアノ協奏曲ではコルトー、ケンプに師事し、むしろフォーレやベートーベ ン弾きとして日本では知られているエリック・ハイドシェックの、エスプリの きいたちょっと遊び心のある演奏が気に入っています。

 室内楽ではharmonia mundi盤のEnsenble London Baroqueによるモーツ ァルトソナタ集やターリッヒ・カルテットによる弦楽四重奏曲など、待合室の BGM用に静かに流すも良し、聴き込んでも良し、という優れものがあります。  特にEnsenble London Baroqueは古楽器を使用しているせいか響きが斬新 で、何回聴いても聴き飽きない演奏だと思います。

 こういった仕事で使うディスクを買い求める際、領収書をもらっておくと 経費で落とせるので、自営業していて、ちょっと得した気分です。もっとも 最近では忙しいためインターネットを利用して、Amazon.co.jpに注文していますので、 買い出しに出かけるのは中古レコード屋さんくらいになってしまったのが、ちょっと残念です。
 それでも東京に学会などで出張すると、学会よりも真っ先に秋葉原にある石丸電 気のソフトワンで外盤CDを漁っていたり、お茶の水にかけて中古レコード屋 さんを覗いて回っていたりします。今でもお茶の水駅前のディスクユニオンの 前を通ると、大学に勤務していた時、時間が経つのも忘れてLPレコードを漁 っていて、重要な研究会に遅刻してしまい、教授から大目玉を食らった頃のことを 懐かしく思い出します。

初出 2003.12
Last update Jan.8.2007

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