■ 時計の話 ■


 九州に戻って今の仕事に就いて間もなく、とある方から、「あんまり安物の時計しているとみっともな いよ。左腕ってのは、よく目に止まるもんだからねぇ」と言われたことがあります。
 その時の私の腕時計は、学生時代に買った3,000円くらいの安物クォーツ時計で、2年 に一回くらいの割合で電池と革バンドを交換するだけで故障もしなかったものですから、 そのまま使い続けていました。時間も正確で年間1分も狂うことなく、それはそれで凄いコ ストパフォーマンスで、国産時計の面目躍如と言えなくもないのですが、長年の使用のた めガラス面は傷だらけで、ベルトも切れかかっており、確かに少々みっともない有様でし た。

 そうなると他の方の時計が、ついつい気になってしまいます。
 国産ではセイコー、海外ではロレックス、オメガあたりが代表的な様ですが、多機能過ぎ ていたり、ゴテゴテしていて大袈裟だったりして、今ひとつ気に入ったモデルがありません でした。そんな折、たまたま中のゼンマイの動きが見える裏側がスケルトンタイプの自動巻 時計を見せて貰ったところ、腕を動かすと時計も動く自動巻の仕組みがなんともいじらしく て、買うなら絶対に自動巻、と心に決めてインターネットで探すことにしました。

 そこでまず最初に目を惹いたのが、ブレゲ(Breguet)のマリーン・コンビタイプバンドの腕 時計。
 独特のブレゲ針という、針先付近がくり抜きの丸い輪になっていて、焼入れした鋼の美し い濃青色針(ブルースティール)が、細かな凹凸模様の美しい白地のギョーシェ(ギロッシ ュ)彫りの文字盤に映え、一目で気に入ってしまいました。
 宝石を散りばめてゴテゴテ飾り立てるでもなく、シンプルでいながら精緻な加工により美 しく仕上げられ、しかも自動巻。欲しいという気持ちが先走ったからなのでしょうか、新品定 価\1,550,000を\155,000と勘違いしてしまい、「値切れば買えるかも知れない」と思った私 は、ブレゲというメーカーのことも、そんなに高い値段の時計だということも知らずに、気軽 にショップへメールを送ってしまったのです。

 「ブレゲ」の創設者アブラアン・ルイ・ブレゲ(1747-1823年)は、「時計の進化を2世紀早 めた男」と言われる、時計史上最も偉大な人物のひとりです。自動巻き機構の実用化やル ビー式シリンダー脱進機などの基本原理、さらにトゥールビヨン(渦巻きの意味。動きや地 球の引力によって生じる誤差を無くし、精度を高める機構)や永久(パーペチュアル)カレ ンダーなどの複雑機構、ミニッツリピーター(暗闇の中でも音で時刻を知ることが出来る時 計)等、数多くの発明を行っています。まさに、このアブラアン・ルイ・ブレゲこそ、時計の基 礎を創り上げた「時計の神様」と言っても過言ではありません。
 しかもその顧客たるや錚々たる面々で、ナポレオンは戦場に赴く際にはブレゲの時計を 携帯し、マリー・アントワネットからは「予算も時間も制限しない。この世で最も美しく複雑な 時計を」との注文を受けます。
 しかし、フランス革命のため彼女はこの時計の完成を見ることなく処刑台の露と消え、彼 女の死後44年を経て幾多の中断の後、1827年に完成するものの、その時計はイスラエ ルの博物館で展示中盗難に遭い、現在所在不明。もし発見されオークションにかけられ たら時価数十億円と言われているとか。

 アブラアン・ルイ・ブレゲの死後、彼の跡を継ぐ技術者が居なかったパリの工房は閉鎖と なります。が、1970年、パリの宝石店ショーメと時計技術者ダニエル・ロートにより、ブレゲ の故郷ジュウ渓谷ラベイの地に、見事復活を遂げることとなりました。
 ちなみに現在販売されているブレゲの代表的なモデルは、以下の通りです。
 ●トノーカンブレ・クロノグラフ自動巻腕時計(18KYGケース) 330万円
 ●イクエーション(パーペチュアル・カレンダーと平均太陽時との均時差を表示する機能)  腕時計1350万円
 ●ミニッツリピーター裏スケルトン腕時計2200万円
 ●トゥールビヨン・パーペチュアルカレンダー・ミニッツリピーター・レトログレード・ジャンピ ングアワー250周年記念モデル腕時計3800万円

 さて、当のマリーン・モデルはどうなったかと申しますと、その値段に驚いたことは言うま でもありませんが、どうしても欲しくて、そのショップにかけあい、非常に程度の良い中古品 を、破格値で入手することが出来ました。
 とはいえ、元の値段が値段ですから、中古とはいえ、勘違いした値段よりも少々高かった のは言うまでもありません。そこで昔取った杵柄とばかりに、久しぶりにウラのお仕事をする ことになりました。いつもなら、「忙しくて時間がない」と、途中で放り出すところなのですが、 どうしても買いたい、という衝動の方が大きかったのでしょう、不思議とやり遂げることが出 来ました。

 ゴールデンウィークに時計好きの旧友が訪ねて来たので、「いやぁ、手に職があると、こう いう時、役立つもんだねぇ」と言って見せびらかせたところ、「そのくらい、バイトしなくちゃ 買えないようじゃ、本業の方はまだまだ、というところか」と一蹴され、苦笑してしまいまし た。

 ブレゲの他にも、リュウズ巻き上げ機構の「クリック式ルモントアール・リュウズ」を開発し、 シンプルで存在感と気品のある「カラトバ」から高度な複雑時計まで、ハイレベルな製品を 作り続けるパテック・フィリップ。
 自動巻ながら正確さでは群を抜くクロノグラフ・ムーブメント「エル・プリメロ」を開発したゼニス。
複雑時計やパイロットウォッチの他、マリン・クロノメータ ーの精度と視認性の良さを備えた「ポルトギーゼ・クロノ・オートマチック」やキムタクが使っ て一躍有名になった2000m防水の「アクアタイマー」等、リーズナブルな価格で高信頼時 計を作り続けるIWC。
 1755年に設立された世界最古の時計メーカーで、高度な技術と芸 術性を併せ持ち、「オーバーシーズ」で名を馳せた、バセロン・コンスタンチン。
 トゥールビヨンを超えた超複雑時計で天才時計師として脚光を浴びた、1958年生まれの フランク・ミュラー。彼の創るトノー型ケースの「カサブランカ」と、その独特な数字の書体には、 熱狂的なファンが多数います。

 見るだけでも楽しく、そのメカニズムとデザインの素晴らしさに惚れ惚れしてしまう時計は、 まだまだたくさんあります。
 インターネットでパテック・フィリップの新しいカラトバをため息混じりに見ながら、いつの 日か、こういう時計を手にすることが出来ればなぁ、と、相変わらず夢だけは持ち続けています。

初出 2004.6
Last update Jan.7.2007

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