お仕事集

  1. 音とイメージ
  2. 日本酒を美味しく飲む方法
  3. 古代出雲の歴史
  4. インフルエンザ対策
  5. 頭痛と枕のお話
  6. 香水辞典
  7. 戦艦大和資料集

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    「音とイメージ」


    これは「ラジオ技術1993年5月号」の「私のリスニング・ルーム」
    の元原稿となった文章です
    私の出身大学のオーディオ愛好会のために書いたものです。
    「ラジオ技術」の原稿は、残念ながら著作権のため載せるこ とが出来ません。悪しからずご了承下さい。
    No. :1993-006
    題  :音とイメージ
    枚 数:17枚
    依頼日:1993年2月3日
    脱 稿:1993年2月12日

      よく勘違いされていることだが、いくら高価なオーディオ機器 を集めても良い音では鳴らない。良い音で鳴るか鳴らないかは、 結局の所、組み合わせで決まる。
     だからユーザーがハッキリとした音のイメージ、方向性を持た ずにいじくっていてはいつまで経っても良い音では鳴りはしない。
     わが家のオーディオシステムに例をとろう。
     先日シェルターというメーカーのプリアンプを聴く機会を得た。
     丹沢電機を辞めて独立した小澤ラボの小澤さんと共に、シェルターの オーナーである小澤氏がプリアンプ持参で直接わが家にやって来てくれたのだ。
     それまでのわが家のシステムはスピーカーはタンノイのスターリング、 CDプレーヤーはスチューダーのA730、メインアンプは先頃購入し たばかりのウエスギの新製品UTY8で、その前のメインアンプは ウエスギのU・BROS11であった。プリアンプはウエスギのU-BROS1。
    低域と高域のバランスの関係からCDプレーヤーとプリアンプの間に ウエスギのマッチングトランスを使用し、CDプレーヤーとマッチングトランス の間はTRIアソシエイツのピンケーブルを用い、トランスからプリアンプまでは SONYのLC・OFCCLAS1を使っていた。プリ・メイン間もやはりSONYの LC・OFC CLAS1で、スピーカーケーブルは透明感と定位の良さが 素晴らしいTRIアソシエイツの製品である。湿度の高い夏場はさすがにダレるが、 冬場は実にきめ細かく美しい音色を奏でてくれた。
    これがメインアンプを真空管がKT88のUTY8に換えたら俄然、 生き生きとした立体感あふれる音に変わった。
     そしてシェルター登場である。
     シェルターの小澤氏の薦めに従ってCDはトランスをはさまず ダイレクトにプリアンプにつなぐことにした。
     試聴用のアンプでは素直に伸びた高域にエネルギー感があり切れ 込みが素晴らしく、分解能も抜群で定位の良い音を奏でた。 SONYのピンケーブルをCD・プリ間に使用すると高域のエネルギー感が むしろ耳障りで、グラドのピンケーブルに換えたら低域のバランスといい、 高域の品の良い粒立ちといい、抜群であった。
     注文して製品が十二月十七日木曜日に届いた。
     今となっては笑い話だが、その夜鳴らしてみて品のない低域と全く 透明感のない高域に呆然となった。小澤ラボの小澤さんに電話で文句を 言ったのはこの翌朝である。
     しかしエージングを重ねる内に二日目の夜から高域が輝きだし、 むしろ低域の量感が不足しているくらいに感じられるようになってきた。 これはちょうど試聴用のアンプで聴くことのできた音質だった。
     さっそくグラドのピンケーブルにしてみる。
     まぁ、大体予想した通りの音になった。
     オーディオ愛好会会長の山川を呼んで狂喜していたのはこの頃である。
     だがエージングを続ける内に四〜五日目くらいから高域のエネ  ルギー感が落ち着き、透明感が増してきた。
     こうなるとグラドのケーブルでは低域がだぶつき、高域の粒立ちが欲しくなる。
     そこで再びピンケーブル接続大会を催し、マッキントッシュ、トーレンス、TRI、 SONYのケーブルを、まずCDプレーヤー・ラインアンプ間で試してみた。
     SONYの粒立ちの良さ、シャープさにわずかながら軍配が上がった。
      しかし音の傾向は不思議なくらい似通ってきており、シェルターのアンプの 個性の強さが支配的に思えた。
     ついでCD・ラインアンプ間はSONYで固定し、ライン・メインアンプ間を やはり同じように取っ換え引っ換え試してみた。
     結局SONYの鮮度の良さに軍配が上がり、これで落ち着くかに見えた。
      だがどうも少しこもりがちで高域が少々耳につき、今度はスピ  ーカーケーブルをいじることにした。といっても手持ちはバン・  デン・フルだけなので、それと付け換えただけである。
      高域のバランスは良くなったが、TRIで見られた透明感にはほど遠く、 ピンケーブルを少しいじってみたけれど、やはりTRIには敵わないと思って戻すことにした。 戻す際に、ふと、TRIのバイ・ワイヤリングにしてみたらどうなるだろうと思い立った。 たまたま試聴用というか非常用に同じ長さのTRIのスピーカーケーブルをもう一組持っていたので、 迷わず試すことにした。
     その結果は……。
     とにかく驚いた。背筋が寒くなるくらい驚き、目を見張った。
     高域の粒立ちはそのままで透明感が増し、定位の良さが俄然際立ってきた。
     そればかりではない。中域から高域まで自然に音がつながり、視界が一気に広がって、  微妙な音のニュアンスまで奏でるようになった。  何よりも静寂がこれほどまでに美しいと思ったことは未だかつてなかった。
     若干低域に甘さが残るのが珠に傷で、もう少しストレートでパンチ力のある 低域を奏でて欲しいが、これがタンノイの特性なのだろう。  いや、バイ・ワイヤリングにする前に較べたら低域のスピード感も明らかに増しているから、 あまりにも粒立ちの良い高域のせいで、低域が甘く聴こえているように感じているのかもしれない。
     いずれにしろ、みずみずしい声と粒立ちの良い高域と静寂の美しさは何物にも換え難いものがあった。
     その後、小澤ラボで試作したコーリアンという素材のスピーカー台を使ってみたり、UTY8の 真空管をゴールドライオンのKT88に換えてみたり、オザワラボの小澤さんの奨めに従って シェルターのラインアンプの真空管をRCAの6211に換えてみたりした。
     ゴールドライオンのKT88は中低域が力強くタイトで、わが家の音の欠点を補ってくれて 非常に好ましかったが、なぜだかコーリアンの台にすると音の透明度が失われ、6211の真空管に 挿し替えると高域の芯が細くなってしまってうるさく、透明感が薄れた。
      まったく試してみなくては判らないもので、結局千円足らずのコンクリートの台に壁紙を張った 安物スピーカー台とオリジナルのシェルターの真空管が最適であった。
     今の所この組み合わせで一応落ち着いている。シェルターのメインアンプの試作品が出来たそうだが、 試聴用のアンプがまわってきたら試してみようと思う。
     が、当分はこの組み合わせで満足できそうだ。もっともエージングが進んで行けば この先どうなるかは判らないが。
     新潟からわざわざ聴きに来てくれたクラシック音楽愛聴会OBの戸田さんも 今の音の素晴らしさに脱帽のようだった。
     スターリングにハーマンカードンのセパレートアンプを組み合わせていた 頃から私のオーディオとの格闘ぶりをつぶさに見て来て、いつも酷評しかしたことのない戸田さんが、 ついにうなって仕舞には黙ってしまったのである。
     実際この音は、今までの自分のオーディオ遍歴の常識を打ち破るレベルで  鳴ってくれている。一つ一つの製品をとってみれば、シェルターのラインアンプは別として、 他は実にオーソドックスというか、誰でも知っているような製品ばかりである。
     クラシック音楽ファンがタンノイのスターリングを使い、それを鳴らすメインアンプに ウエスギのKT88仕様の真空管アンプUTY8を使う。CDプレーヤーはオープンデッキ時代から 定評のあるスチューダーの製品で固める。
     これらは知る人ぞ知る、黄金の組み合わせである。
     これにシェルターのラインアンプを組み合わせてみただけと言えば簡単だが、 実際私が試みたことと言うのは、試聴用のプリアンプが聴かせてくれた音の片鱗を思い描き、 シェルターというメーカーを信じて隠し味としての調味料的存在であるケーブル類を 取っ換え引っ換えして、自分の持つ音のイメージに一歩一歩近付けて行ったのである。
    こうしたオーディオに対する取り組み方というのは、タンノイの初代スターリングとの出逢い 以来変わっていない。
     秋葉原のとあるお店の前を通り過ぎた時にたまたま流れていたバイロイトのワーグナーの音楽。 それがタンホイザーだったか何であったかは忘れたが、声のリアルさと、テノールの歌手がクルリと 振り向いた様まで手にとるようにわかった時の衝撃は今でも忘れない。
    爾来たった二組のピンケーブルを求めに秋葉原まで往復したりこの時は出費を少しでも 抑えるために途中まで原付で行った)、スターリングの潜在能力を信じて少しずつ少しずつ自分の目標と する音に近付けて行った。
     粒立ちの良い高域と歯切れが良くパンチ力とスピード感ある低域。 しかも定位が良く透明感があり、美しい静寂を聴かせてくれる。そしてみずみずしい声と伸びのある 管楽器群はフル・オーケストラでも音がつぶれたり濁ったりすることなく朗々と鳴り、弦  はつややかでアタックは切れ込み鋭いながら爽やかで風が吹き抜 けるようで金属的な響きにならず、 打楽器は水晶の輝きを思わせる硬質でキラキラとしてかつ澄みきった音を聴かせる……。

     伏し目がちに衣擦れの音をさせて母親と共に現れたロシア皇帝の娘、 ナターシャ。まだ少女の面影を残したその細面をゆっくり上げ、澄み切った瞳を大きく見開く。 レーニンの命を受けてシベリアの地で皇帝一族の生命を絶たんとする兵士達を前に、彼女は微笑んだ と言う。
     その気品と凛とした出で立ちに、兵士達は体に触れることはおろか、声を かけることすら出来なかったと言う。そして自ら「ご一緒いたします」と声をかけ、 死地へ赴いた……。
    目を閉じて耳を傾けると、眼前にナターシャの微笑みが浮かんで来る。
     まさに大輪花開こうとする直前に散ったうら若き乙女、ナターシャの 時空(とき)を超えて語りかけてくる声が聴こえる、そんオーディオシステムを求めて ピンケーブルの一本に至るまで細心の注意を払い、試行錯誤を繰り返す。
     一月末にわが家の音を聴きにやって来た須玉町の郵便局長伊藤氏の 「一つ一つの音が磨き上げられた日本庭園のような音だ」と言う評は、言い得て妙。 けだし名言である。わが家の音を語るに、これほど的確な表現はない。
     伊藤氏のお宅のスピーカーはカンタベリー15である。もっと力強く鳴る。 第一、部屋の広さが違う。わが家の場合、六畳程の部屋でクラシック音楽を中心とした音楽の 小宇宙を創り上げようとしているのだ。
     広くてたかだか数十畳の限られた一つの部屋の中で、生そのままにフルオーケストラや室内楽、 コーラスからピアノまで、皆、最高の音で鳴らすのは土台無理な話である。しかしその無理を承知で 挑戦しているわけである。となれば「日本庭園」の形を取らざるを得まい。
     誤解の無いように言っておくが、これは現在流行(いまはやり)の「ダウンサイジング」とは まったく別物である。余分なところを「切り捨てる」ことによってサイズを縮小し、本来の姿を明確にして 行くダウンサイジングとは違い、そのエッセンスを「変容させる」ことによって、 元来持っていたイメージを超越し、普遍的な形を創るのである。
     しかも虫の良い話だが、私の場合「形」ばかりか時間(とき)を超え、現在(いま)ある空間を超え、 文字通り時空を超えた音を奏でて欲しいのである。
      レコードであれCDであれテープであれ、記録された媒体の持つ本来の姿 というのはかくあるべきであろうし、かくあるべきものだと信じている。逢ったことはおろか、 垣間見たことも写真で見たことすらないロシア皇帝の娘、ナターシャを彷彿とさせるオーディオシステム。 「今一つ高域の伸びが…」とか、「透明感が…」とか、「分解能はまあまあなのだが、定位が…」などという 言葉など、その音の前では意味を成さないオーディオシステム。
     目を閉じて耳を傾けると、自分の心の奥底に眠っている時空を超えた記憶が 蘇って来るようなオーディオシステム……。
     もっとも、こんな音を奏でてくれるオーディオシステムなど求めても、 実際のところありはしないのかも知れない。だが私の心の奥底でこの理想化された 音が鳴り続けてくれる限り、追い求めずにはいられない。
     今現在わが家で鳴っている音はこの理想の音に一歩、いや、二歩くらい近付いたと 言って良い。でも、到達したわけではない。
     理想化された音は私の心の中でますます磨きがかかった音を奏でる。
     手を伸ばせば届きそうなのに、なかなか掌中に出来ぬ音。だが上着の裾くらいは 掴むことが出来たと思う。しかしそれも束の間、ゆうるりと裾を翻して私の掌から 抜け出すと「いらっしゃい」と微笑みながら手を振る。
     彼女は確かにそこにいるのだ。吐息が耳元をくすぐるほどすぐ近くに。 長いその髪が私の頬を撫でてゆくほど近くに。今ここで諦めてしまったら 二度と手の届かぬ所に行ってしまうかも知れない。ならば求めずにはいられまい、 どんな犠牲を払っても。何にも代え難い彼女をこの胸に抱くためには。
     ん、何? んなことやってるから、いつまでも結婚も出来ずに独り身なんだって?
     ふん、余計なお世話じゃい。
     そんなに他人のことをとやかく言いたいなら、わが家の音を超 える音を聴かせてみろってんだ。


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    「日本酒を美味しく飲む方法」

    これは私が某所で講演したものの原稿です。

    お酒に弱い方というのは、そのほとんどが、二つあるアルコー ルの分解経路の内の通常75%を占める、肝臓のアルコール脱水 素酵素を介する経路がうまく働かないためだと言われています。

    ちょっと難しい話になりますが、アルコール脱水素酵素によりエ タノール(CH3-CH2OH)は、アセトアルデヒド(CH3-CH=O) になります。で、これが脱水素酵素により酢酸(CH3-COOH)にな って、さらに代謝されてしまうのですが、このアセトアルデヒド 脱水素酵素が少ない人が日本人(モンゴル系)には多く、アセト アルデヒドが貯まると頭痛がしたり、気持ち悪くなったりします。

    じゃあ、お酒に強くなるにはどうすればよいかというと、残りの 25%を占める別のアルコールの代謝経路を頑張らせてやれば良い、 ということになります。

    この代謝経路はMEOS(microsomal ethanol oxidizing system) と呼ばれる経路で、なんと、鍛えれば鍛えるほど、活性化するとい うシロモノ。つまり「飲めば飲むほど強くなる」というわけです。

    毎日少しずつでも良いですから、アルコールを飲むようにしましょう、 なんて、言うのは簡単ですが、実行するのは、なかなか難しいもの です。先立つものも必要ですし……。
    ましてや、あまり飲めない方など、最初はほんのコップ半分でも、 二日酔になってしまうくらいですから、根性がいるかと思います。

    でも、不思議とみんなとワイワイ楽しみながら飲んでいると、意外 に気持ち悪くならなかったり、二日酔も軽くて済むことがあります。
    これって、もちろん精神的なこともあるでしょうが、体が調子よくて、 リラックスしている状態だと、酵素を作る機能が活発になり、代謝機 能が上がっているからだ、と言う人もいます。

    と言うことは、「少しくらい気持ち悪くなっても吐いても気にせず、 気の合う仲間とワイワイ楽しく、毎日のように飲みましょう」てなこ とになるのでしょうか。

    もちろん、血液の中のアルコールの濃度を低くしてやることも大切な ことです。

    通常、アルコールの濃度が100mg/dlを超えるとほろ酔い状態になり、 250mg/dl以上では記銘力低下(何をしたか覚えていない)状態になっ ちゃいます。アルコールに弱い人は、この1/10でも気持ち悪くなると言 います。

    アルコールの血中濃度を低く抑える方法としては、以下のようなものが あります。

    (1)吸収を遅くして、一気に血中濃度が上がらないようにする
      その代表が、脂肪を多量に摂取して吸収を遅くすると言う方法ですが、   アルコールだけでなく、他の蛋白質や炭水化物も吸収が遅くなり、消化  不良を 起こして気持ち悪くなる人がいることは、知っておいた方が良い  と思います。

      バター作戦は私も実行したことがありますが、あまり気持ちの良いもの  では ありません。
      ちなみに私の友人は、冬場にアイスクリーム作戦を決行して多少は成果  はあったものの、翌日下痢に悩まされました。

     アルコールを20%吸収すると言われている胃で吸収を遅くしても、残り  80%は、その先の小腸で吸収されてしまうので、ある程度量を飲んで  まったら、これは諦めるしかありません。

    (2)胃の中のアルコールを希釈してしまう
      つまり水を多量に飲み、いっぱいモノを食べて、アルコールが吸収され  ても、 血液のアルコール濃度は、見かけ上、低く抑えてしまおうという  方法です。この方法の欠点は、おしっこが近くなると言うこと。
     アルコールを摂取すれば、利尿効果で、ただでさえおトイレが近くなるも  の。それに輪をかけておトイレが近くなるのが難点。
     あまり女性向きとは言えません。

     ちなみに水分と脂肪、蛋白質を効率よく摂取する方法としてお薦めなのが  牛乳です。ある程度の量(300ml程度)を飲むと、胃の中を満たして粘膜を  保護する作用もあったりします。
     でも、中には牛乳の成分である乳糖が合わないために、下痢になったりす  る方もいます。また、脂肪の取り過ぎも下痢の原因になりますので、ご注  意下さい。

    (3)胃や小腸で、アルコールの吸収量を減らす
     この代表的なのが、下剤です。
     市販のコーラック等では腸の動きが激しくなって、お腹が痛くなる人がい  ます。で、お薦めなのが「硫化マグネシウム」もしくは「クエン酸マグネ  シウム」です。 医師がよく処方してくれる、目薬みたいなお薬、「ラキソ  ベロン」は、大腸を動かす下剤ですので、便秘には良く効きますが、アルコ  ールの吸収を減らすと言う意味では、お薦めできません。

     が、まあ、女性の場合、お酒の席で大きい方のトイレに立つこともなかな  か出来ませんので、下剤は使わずに済めば、それにこしたことはないと思  います。
     なお、牛乳がお酒の二日酔防止に良いと言うのは、アルコールを多飲した  翌日に体に必要な、ビタミンや蛋白質を多く含んでいるからですが、実は  牛乳の中の乳糖が合わない人がいて下痢気味になり、下剤の代わりをして  いるのだ、という説もあります。

    (4)柿や豆類を食べる
     これは、柿や豆類に含まれているシステインがアセトアルデヒドの代謝を  促進させる作用があることを利用した方法ですが、酔って頭が痛くなるほ  どまで飲んだ場合には、かなりの量のアセトアルデヒドが体内を循環して  いますので、それほど即効性があるとは言えません。
     実際に試してみましたが、飲んだ後では消化器系がやられてしまっていて  嘔吐する場合があり、むしろ飲む前や飲みながら豆類や柿を食べる方が良  いのではないでしょうか?
     そういう意味では、枝豆をつまみながらビールを飲むというのは、理に適  っているのかも知れません。
    消化剤(胃腸薬)の効果につきましては、様々に見解が分かれていますが、 アセトアルデヒドが血液中に増加すると、腸の運動まで抑制されて、食べた ものが消化されずに胃や腸の中に残ってしまい、なおさら吐き気や嘔吐の原 因となってしまうことが言われています。
    それを防ぐ意味からも、お酒を飲む前に、消化剤をお飲みになることは、良 いことだと思います。
    単なる消化促進剤ではなく、消化酵素の入ったものの方が(値段は高くなり ますが)良いのは、言うまでもありません。

    また、肝臓の機能を良くするものとして、タウリンがあります。
    ドリンク剤の中には、肝臓の代謝を助けるビタミンと共にタウリンが入って いるものもあり、お酒をお飲みになる前に飲まれると、良いと思います。

    熊の胆(胃ではなく、胆嚢です)が古来より二日酔には良いとされてきました が、これは胆汁成分が効果を現していると言われ、それならば胆石の時の薬 である、ウルソデオキシコール酸を飲んだ方が効くかも知れません。

    (Last update Apr.5 1994)
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    「古代出雲の歴史」


     古代出雲の歴史と神話と言うと、みなさんは何を思い浮かべるで しょうか?
     たいていの方々は、歴史的バックボーンになっている資料として 古事記を挙げ、「スサノオ」「大国主」らが中心となった出雲神話 を思い浮かべることでしょう。

     これはこれで、確かに間違いではないのですが、記紀と言われる、 「古事記」や「日本書紀」は、出雲を武力で平定した大和朝廷側か ら書かれた歴史で、その一側面でしかありません。
     そして出雲などと言うと、関東地方に住む方々からは遠い存在の ように思われますが、実は関東に住む私どもの身近に、出雲族の残 影を見ることが出来ます。

     氷川神社、熊野神社、諏訪神社……。
     祭神が天照大神となっているところもあるものの、本殿ではない 摂社、末社の祭神を調べてみると、大国主神(尊もしくは命とも表記) や須佐之男(スサノオ)尊の名前を見ることが出来ます。

     これはとりもなおさず、これらの神社が出雲系の人々によって建 てられたものであることを物語っています。
     もっとも時代を経て、その神社の存続を問われたとき、やむなく 主神を大和系の神々にして長らえた神社も多々あり、それまでの出 雲系の祭神は、本殿から追われて小さな社に名を残すのみとなって 行ったのは、時代の流れとはいえ、残念なことです。

     アニメ「セーラームーン」でもおなじみになった火川神社ならぬ、 「氷川神社」。その総本山とも言うべき「氷川神社」は、大宮にあ ります。
     元々、大宮の呼称自体が、大きな宮社の存在を示すものであり、 この「氷川神社」だけでも関東には数百存在することを考えると、 出雲系の人々の勢力は、絶大なものがあったに違いありません。
     だいぶ遠回りしてしまったようです。
     そろそろ、本題の古代出雲の歴史について述べようと思います。

     古代出雲の歴史を語る際、忘れてはならないのが「出雲風土記」。
     しかしこれとて大和朝廷から出雲地方を託された出雲国造の編纂 であることを考えると、完全なる資料には成り得ないことも明らか。
     他に万葉集、古語拾遺、出雲国造神賀詞なども参考になりますが、 結局のところ、出雲系の神社などに伝わる古い伝承などをも取り込 み、遺跡などからの出土品なども考慮して、一つ一つ歴史的事実に 照らし合わせ、より可能性の高い展開を考えるしか手段がないとい うのが現状です。

     とは言うものの、出雲風土記は古代出雲の歴史を紐解く上で、無 くてはならない資料であることは間違い有りません。この出雲風土 記によると、意宇川以東を中心とする野城(野義:のぎ)大神、加 賀郡神埼を中心とする佐太大神、出雲の祖神クナトノ大神である熊 野大神が主神で、新羅系渡来人で神門川中流の飯石地区の一地方神 に過ぎなかったスサノオや、簸ノ川平野を開拓してそこへ移り住ん でその地の祖となったオオナムチ(オオクニヌシ:大国主)は、当 初は脇役でしかありませんでした。
     なぜなら出雲地方を最初に開拓したのはおそらく熊野(くなとの) 大神を祭る一族で、その後野義大神を祭る一族、佐太大神を祭る一 族が開拓していったと思われるからです。純粋に出雲族と呼ぶ時は 熊野大神を祖とする一族を示したと思われます。出雲風土記を編纂 した出雲国造はこの熊野大神を祖としていると考えられていますの で、出雲風土記におけるスサノオ一族の扱いが低いのも頷けます。

     このスサノオ一族ですが、歴史を辿っていくと、中央アジアを席 巻した騎馬民族に関係していることが解ってきました。

     バルハシ湖西岸から中央アジアへ紀元前600年頃進出した、スキ タイ・サカ族(ペルシャ・スキタイ族)の一部が、蒙古、満州、朝 鮮へとやって来ます。
     このサカ(坂)族、日本へ渡ってからはスカ(菅、あるいは須賀) 族、砂鉄に関係するスサ(須佐)族とも呼ばれるのですが、その首 領であるスサノオ(スサ族の王の意)は一族を連れて一世紀頃出雲 地方へ渡来。意宇(おう)川下流の東部出雲を開発していた先着の 人々とは争わぬよう、神門川中流の飯石郡須佐郷、現在の簸川郡佐 多町須佐つまり西部出雲の小盆地に居を構えました。ここは出雲西 部へ出る神門川に沿う神門道がほどなく平野部へ出る、日本海−杵 築大神の南の神門水海−吉備・安芸に通じる交通の要所でもあり す。
     彼ら渡来系族より先に西日本一帯にやって来て、最初に江南地方 から稲作やタタラを使った産鉄技術を伝えた、背や鼻の低い南海 系(大海人族、わだつみ族とも言われています)部族は、度々出雲 地方を脅かしてテナヅチ、アシナヅチの娘クシナダを要求しました が、スサノオにより撃退されます。
     有名な八俣大蛇(やまたのおろち)を成敗して草薙の剣を得る 言う伝説は、スサノオが彼ら八つの部族を討ち、当時としては最高 の鉄製武器製作技術を手に入れたことを意味しています。
     古事記を読むと、武勇誉れ高いスサノオですら、その「頭」達を 酒に酔わせなくては討ち取ることが出来なかったと言うことが、ハ ッキリと書かれています。それくらい、彼らは強かったと思われま す。加えて興味あるのは、スサノオがその尾を切り落とそうとした ところが、その刃が欠けてしまい、不思議に思って尾を裂いてみた ところ、素晴らしい太刀が出てきたというくだり。つまり、スサノ オの武器は、その「尾」、すなはち「頭」に付き従ってきた下っ端 の兵、あるいは「武器を作る人々」の所持する武具にすら劣ってい たのです。決してスサノオが圧倒的優勢ではなかったことを、はか らずも物語っていると言って良いでしょう。
     朝鮮から渡ってきたスサノオの部族は、それなりに製鉄技術を持 っていた可能性があると考えられますが、弥生末、銅剣が主体だっ た出雲地方のことを考えると、その頃までは鋳鉄が主体で、鍛鉄の 技術は持ち合わせていなかったのかも知れません。
     ちなみに草薙の名の由来ですが、沖縄では南海人系の古い言葉が 残っていて、アオダイショウのことを「オーナギ」あるいは「オー ナガ」と言うそうで、「ナギ」が「蛇」と関連した言葉で、現在で も「蛇頭」などという言葉が残っている様に、「蛇」は中国南部か ら台湾、沖縄、九州にかけて活動していた南海人系の大海人、ま、 要するに海賊ですね、それを表す言葉ではないかと考えられていま す。
    「クサ」は「クソ」と同義で、今でも使われていますが、「非常に」 とか「猛烈に」(強い)などの意を表し、「とてつもなく強い南海 の海賊の剣」というところでしょうか。

     オロチ成敗の功によりスサノオはクシナダを手に入れ、斐伊川中 流域で合流する赤川に沿ってさかのぼり大原郡大東町のあたり、今 の須我神社のもう少し上った須賀の地に居(宮殿)を構えます。
     この須我神社は背後に須我山をひかえ、須我山は西南に流れる須 我川、北に流れる忌部川(野代川)、東北に流れる意宇川の分水嶺 となっています。しかも重要なことに、意宇川の西岸には熊野大社 があります。つまり須我山は出雲の水の源であり、聖なる地であっ たと思われます。この地に居を構えたということは、とりもなおさ ず、出雲を支配したということになると考えても良いと思われます。

     また、簸ノ川(氷川の語源とも言われています)を開拓して移り 住んだオオナムチ(大己貴神=大国主神)一族は当初は農耕などを 主とする集団のようで、スサノオからの扱われ方を考えると、彼ら が征服した先住民の生き残りかも知れません。あるいは渡来部族の 中の農耕を司る一族かも知れません。
     オオナムチ(オホナムチ)の「オオ」あるいは「オホ」は、「大」 を表し、「ナ」はアルタイ語系の「土地」を表す言葉で、「ムチ」 は「貴人」の意味で、日本書紀では大国主神は七つの名前を持って いるとあり、古事記では七つもしくは五つの名前を持っていると書 かれていることから、一人の名を現しているというより、出雲地方 の広い地域を領有した、優れた支配者達の総称ではないかとも言わ れています。
     いずれにせよオオナムチはその人望もあったのでしょう。スサノ オから禅譲の形で出雲を譲り受けたと思われます。
     このオオナムチの治世の時、出雲族は大和族(日向族)と国家を 二分する巨大勢力となったようで、大和からたびたび討伐隊がやっ て来ますが、なかなか果たせなかったのは、古事記でも周知の通り です。
     しかし、雷と刀剣の神である建御雷之男神(たけみかづちのをの かみ)と、鹿の神格化である天迦久神(あめのかくのかみ:鍛冶に 使うふいごが鹿皮で作られており、刀剣の製作者と関係があると言 われています)が大和から出雲の伊那佐の浜にやって来て大国主に 国譲りを迫ります。
     大国主はその子、八重言代主神(やえことしろぬしのかみ:政治 &宗教担当)が服従の意を示し、スサノオの系譜に連なる武門担当 であった建御名方神(たけみなのかたのかみ)が建御雷之男神に敗 れて諏訪湖の畔まで逃げて行った(そのため、諏訪神社の祭神とな っています。諏訪の呼び名自体が、須佐と関係していると考えられ ています)ため、自らは戦わずして、高さ48mにもおよぶ壮大な出 雲の社(宮殿)を建築してもらうことを条件に、国を譲ることにな るのです。
     「御柱祭」という、時として死者も出る、諏訪神社のお祭りがあ りますが、太い聖なる「柱」を男達が山から切り出してきて神社に 奉納するというのは、時代を経ても出雲大社と深いつながりがある ことを暗に示しており、興味あるところです。
     この当時は九州北部からこの北陸にかけて、日本海沿いの広い範 囲にわたって出雲の勢力が広がっていて、九州のタキリ姫、翡翠の 産地北陸にはヌナカワ姫がいたことを考えると、建御名方神が諏訪 に逃れたルートは北陸経由が最も有力であると考えられています。

     このスサノオの一族、その足跡を追っていくと、鬼伝説、巨人伝 説が多く、また、東北の山岳信仰など出てくる、背が高くて鼻も高 い「天狗」もこの類だと思われます。あの「なまはげ」にも天狗の 面影があると言われています。
     アニメ「もののけ姫」に出てきた「ダイダラボッチ」も、実はス サノオに通じる巨人伝説と関係があると言われています。
    「ダイダラボッチ」が「タータラ坊」、「大タタラ坊」が転じて出 来たという説もあり、武蔵の国にダイダラボッチ伝説が多い理由と して、興味有る説です。

     四年ほど前になりますが、私が杉並在住の頃、バスに乗っていま したら、「代田橋」という地名があり、確かめたところ、やはりこ のあたりにダイダラボッチ伝説があったと言います。
     今ではその土地土地の伝承を語ってくれる古老も居らず、教育委 員会の資料や寺社に残る記録に頼らざるを得ないのが誠に残念でな りません。
     でも、こうして都会の中にも密やかに古代の歴史の残影が、まだ そこここに認められるのは、何とも嬉しいことです。

     もし、これをお読みになって、歴史に興味を覚えた方がいらっし ゃいましたら、ぜひお近くの神社に足をお運び下さい。歴史の教科 書には載っていない、真の古代の人々の息吹が感じられる歴史への 扉が開かれるに違いありません。

    1997.7.22.(1997.7.27改訂)

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    「インフルエンザ対策」


    今年(1999年)のインフルエンザは大きく2種類ありまして、熱が上がるタイプは 香港A型で、薬などで熱を下げ過ぎないのが早く治すコツの様です。

    最初の1〜3日、ポーンと39℃くらいに熱が上がり、頭痛、関節痛、筋肉痛が出 て来るので、ついつい解熱鎮痛剤を多めに使いたくなってしまいますが、例えば 38℃から36℃まで下げると、ウイルスをたたくための免疫能が、一桁、場合によ っては二桁以上低下してしまいますし、ウイルス自体が熱に弱いですから、せっ かく身体の防衛反応で発熱しているのを強制的に抑え込んでしまいますと、気道 粘膜に付いたウイルスの侵入&繁殖を許してしまうことになります。

    特に気道粘膜は乾燥と温度低下に弱く、粘膜の線毛運動によってウイルス等を体 外に排出しようとする作用が、冬場は一気に低下します。
    解熱鎮痛剤の使用はその線毛運動をさらに抑えてしまいますから、身体にとって は水際の防衛反応も極度に低下してしまって、「風邪薬を飲んだら、かえって具 合が悪くなった」というような状況を招くこともあります。

    よく、雪が降るとインフルエンザは一段落する、なんていうことを言いますが、 これは降雪&降雨により湿度が上がってくれることが最大の理由です。
    他にも乾燥状態が改善することにより、ウイルスの拡散度が低下することも挙げ られましょう。
    関東地方は昨年末から降水量が極めて少なく、インフルエンザを大流行させてい る要因の一つとなっているわけです。

    一見、身体の強そうなスポーツ選手がインフルエンザに案外かかりやすかったり するのは、スポーツやそのトレーニングをするのに近年は団体で行うことが多く、 他の団体との交流も多かったりしますので、インフルエンザウイルスを招き入れ やすい環境にあるのも一因ですが、トレーニングなどで身体にストレスがかかっ たり、心拍数が上がるような、つまり血行動態を変えるような運動をしますと末 梢循環が悪くなり、過呼吸による気道乾燥も加わって、気道粘膜の線毛運動の低 下を来すことが原因となっているからです。

    今年のインフルエンザですと、だいたい4〜5日目から熱は下がってきます。
    代わりに3日目くらいから咳嗽や鼻水が出てきます。
    これはウイルスが気道粘膜や鼻粘膜に侵入、繁殖してきた証拠で、生体反応の一 環としてこの症状が起こっているわけで、むやみやたらと咳止めなどを使用する と、体内から外へウイルスや最近を出そうとする作用が止められてしまうので、 症状がさらに悪化する場合があります。

    ただ、夜も眠れないほどの咳嗽や鼻水の場合は、睡眠不足になって治りも悪くな るので、対症療法として、咳止めなどを使用する場合もありますが、使いすぎに ご注意下さい。

    一週間程度してウイルスに対する抗体が体内で作られて一気に治っていけば良い のですが、熱が下がったからといって、ここで無理をして過労や睡眠不足などが 身体に加わりますと、身体の免疫能が落ちてしまうことに加えて、インフルエン ザで痛めた気道粘膜の部分に二次感染を起こして、気管支炎や肺炎など重篤な状 態になってしまうことがあります。

    そういう意味でも、だいたい一週間を超えて長期化しつつある感冒症状の場合に は、肺炎球菌やインフルエンザ桿菌等の、いわゆる一般市中細菌感染を予防する という観点から、予防的に抗生剤などの投与をすることがあります。
    どの種類の抗生剤が良いかは判断が難しいのですが、菌交代現症を避ける意味か ら、あえて殺菌作用が少なく、静菌作用が中心のミノマイシンなどを使用して、 体内の細菌バランスを保ちながら細菌感染予防をするのも、一つの方法と言えま す。

    青壮年に多い肺炎球菌はペニシリン系が有効ですので、ペニシリン系の薬を出す 場合もありますが、「ペニシリン・ショック」などの副作用やアレルギーを嫌っ て、そういったことの少ないセフェム系の薬剤を第一選択にしている医師が最近 は多いようです。あとは耐性菌の問題も絡んできていて、なかなか一筋縄ではい かない、と言うのが現状です。

    うがい、手洗い、マスクはインフルエンザ対策の三種の神器と言われていますが、 うがいをするとウイルスや細菌除去の作用の他、線毛運動を促進させることも知 られており、風邪の予防になると言うのも頷けます。
    手指からの細菌&ウイルス感染は意外に多く、直接接触しなくても間接的に伝播 することが知られていますので、手洗は非常に有効です。
    マスクはウイルスの大きさからして無効ではないかと言われていますが、くしゃ みや咳嗽により飛沫感染することを考えますと、完全にウイルス単体で飛んでい くものもありますが、飛沫成分と共に飛散しますので、マスクで予防できる部分 もある上、気道粘膜の乾燥を防ぎますので、マスクはそれなりに有効と現在では 考えられています。

    また、マスクを使用することにより、患者側から健常者への感染を抑制すること は勿論、何度も言うように気道粘膜の乾燥を防ぐことも出来ますので、すでにイ ンフルエンザにかかった方にも有効です。

    それでは、インフルエンザにかかってしまった場合はどうするか、ですが、昔か ら言われている、「一に睡眠、二に栄養……」は確かにその通りで、十分に睡眠 や栄養(特にタンパクとビタミン)をとって免疫能をupさせ、発熱による消耗を防 ぐと共に、活性酸素による細胞障害を防止する(ビタミンCなどにその作用があり ます。今流行の「カテキン」にもこの作用があります)ことが快復の助けになりま す。

    それから、発熱時には脱水になりやすいので、ポカリスエットやアクエリアス等、 もちろんお茶などでも構いません(お茶にはビタミンCが入っています)、水分を ちゃんと取ることも必要です。

    風邪をひいたときには「おかゆ」が良いということに関しては、別に「おかゆ」 でなくても、消化吸収の良い、胃腸に負担をかけない食事でかつ水分も十分に補 給出来るものなら良く、タンパクとビタミンにも配慮していただけると、更に良 いかと思われます。

    入浴の可否については、アメリカでは入浴を薦めているところもあるのですが、 これはアメリカ人はあまり入浴をせず、シャワー浴で簡単に済ませているため、 汗や皮脂等により細菌が繁殖しやすい上、シャワー後は皮膚温が下がって末梢循 環が落ちて、気道粘膜などの防御反応の低下がみられるからで、それを予防する 意味からも、入浴することで十分な保温とリラクゼーションにより、免疫能改善 も意図しているのですが、日本人の場合はこれを鵜呑みにすると良くない様で、 セントラルヒーティング等、暖房が行き届いているアメリカとは異なり、入るお 風呂の湯の温度が高く室温が低い日本は、「湯冷め」しやすい条件がそろってい ます。

    加えて発熱時には汗をかきやすく、体温調節がうまくいかないことがあり、入浴 後の気化熱による体温変化や急激な循環動態の変化に身体がついていけず、症状 が悪化することがありますので、やはり熱がある間は入浴はひかえた方が無難か と思います。

    1999.2.3.(改訂:1999.2.10)
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    「頭痛と枕のお話」


     最近、頭痛でお悩みの方が多いらしく、「肩凝りがひどくて……」と訴える方が かなりいらっしゃいます。その原因を伺ってみると、枕が高すぎたり硬すぎたりす る場合がある様です。
     我が国では昔から木にい草を巻いたものや葦などで風通しの良い枕を作ったり、 蕎麦殻を詰めて枕にしたりと、「ちょっと高めで硬めの枕」が主流の様で、確かに 木枕など高めの枕は横向きで寝るのには適しているため、武士階級を中心に使用さ れましたが、頭痛や肩凝りの面から考えると、仰臥位では首に余計な緊張を与えた り、頭側が上がってしまうため体重が殿部にかかってしまって就眠時の姿勢が悪い ために、肩凝りばかりか腰痛の原因になっている場合があるのです。
     これを解消する枕としてはスウェーデンのファゲダーラ社の開発したウレタンフ ォームの一種、ヴィスコエラスチックフォームを素材とした低反発枕というのがあ ります。これは頭の重みで枕の表面が沈みこみ浮き上がって来ないので、首元から 後頭部にかけて包み込こんで圧力を分散させ、首へかかる負担が減って心地よく眠 れるという代物。難点はちょっと高価であることと「頭寒足熱」に反すると言うこ と。冬場は首筋が温かくて良いのですが、夏は頭が火照って眠り難いという方がい らっしゃるかも知れません。
     安価にあげる方法としては、バスタオルを首に当たる部分を少し丸く巻いてやっ て、高さはタオルを折り曲げて調節するという方法があります。頭が暖まって嫌な 方は水枕をすると良いでしょう。

    1999.12.29.
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    「香水辞典」


    (1)オーデコロン、オードトワレ、オーデ・パルファム、香水(パルファム)
     1)オーデコロン
      アルコール純度75〜80%。持続時間1〜2時間
      リフレッシュ効果がある。スポーツ後や入浴後にたっぷり付けられるライトな香り。
     2)オードトワレ
      アルコール純度80〜85%。持続時間3〜4時間。
      香水の下地として使える。軽いタッチの香り。
     3)オーデ・パルファム
      アルコール純度85〜90%。持続時間5時間。
      香水に近い効果がある。安く入手できる。初心者向けの昼間の香水。
     4)パルファム(香水)
      アルコール純度96%。持続時間5〜7時間。豪華に香ります。

    (2)香りの種類
     1)グリーン系
      爽やかでシャープな香り。都会的な雰囲気がある。
      シャネルNo19、イヴ・サンローラン「Yイグレッグ」
     2)フローラル系
      親しみやすい柔らかな花の香り。女性らしさを表現したいパーティーなどに向いている。
      ジャン・パトウ「ジョイ」、ラガーフェルド「クロエ」
     3)アルデヒド系
      合成香料。深みがあり、上品な印象。
      シャネルNo5、コティー「アンプレブー」、ロシャス「マダム・ロシャス」、ランコム「クリマ」
     4)シブレ系
      エレガントで神秘的な香り。フォーマルな席に、ナイトタイムに。
      グレ「カボシャール」、ソニア・リキエル「セッティエム・サンス」
     5)オリエンタル系
      甘く濃艶な香り。華やかな夜に適す。
      コティー「エメロード」、イヴ・サンローラン「オピウム」

    (3)代表的な香水
     1)ココ/シャネル(28ml \38,500)
      オリエンタル系の香り。情熱的で妖艶なイメージ。
      夜のデートやパーティーなど華やかな席に適す。オジサマ族に人気。
     2)イザティス/ジバンシイ(15ml \23,000)
      シブレ系の香り。シブレ系の中でも甘く、繊細さを持つ。
      日本人にも馴染みやすい。洗練された女性のイメージ。
     3)プワゾン/C・ディオール(30ml \30,000)
      フルーツからアンバーへの香りの変化が楽しめる。
      どの系統にも属さない新しい香り。
      神秘的でセクシー。20代後半の男性に人気があるが、女性には香りが強すぎて嫌いと言う人も。
     4)ミツコ/ゲラン(30ml \37,000)
      シブレ系。湿った森林で感じる苔のイメージ。強く重く、格調が高いが、おばさんぽいと、若い   男性には評価が落ちる。
     5)レール・デュ・タン/ニナ・リッチ(15ml \28,500)
      フローラル系。ベルガモト、カーネーション、クチナシのブーケの香り。
      爽やかでいやみがなく、可愛いイメージがある。30代、40代の男性に人気が高い。

    (4)賢い香りの演出の仕方
     朝にトワレをつけ、アフター5に香水をつける。
     付ける場所は、耳の後ろ、うなじ、腕の内側、手首、スカートの裾、膝の内側、足首。

    参考資料:微笑1990/4/28号(祥伝社455)他 Dec.30.1999(改訂掲載)
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    「戦艦大和資料」

     1922年以来主力艦保有数対米英比60%、補助艦70%、主力空母60%のワシントン条
     破棄を決めた1934年10月、46cm砲搭載戦艦A-140計画を発足。
     1937年8月海軍大臣より建造命令が出され(兄弟艦の武蔵は翌年建造開始) 1940年8月進水、パールハーバー奇襲の8日後の1941年12月16日艤装を終えて竣工引き  渡し式が行われ、大和と命名されて実戦配備された。
     初陣は1944年6月のマリアナ沖海戦で、軽空母の護衛であった。
     この時航空機の攻撃を受け、その対策として2連装5cm砲を24門、3連装基銃を98門、  レーダー6基を追加装備した。
     44年10月レイテ沖海戦では航空機の援護もなく、兄弟艦武蔵を失い、大和もB-24を含  む延べ650機の攻撃を受け、前部に1発が命中、甲板を貫通し、内部で炸裂。更に1番砲  塔の肩に命中した。
     この海戦で初めて46cm砲を使用。スコールの悪天候の中、サマール沖で遭遇した軽空母  2隻、戦艦1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦2隻に発射し、軽空母1隻、駆逐艦3隻を撃沈した。
     大和の最後の出撃は航空機援護のないまま連合軍艦隊と砲撃で決戦する特攻を命じられ、  片道燃料しか積まず、1945年4月6日沖縄を目指した。
     しかし翌7日昼過ぎ、100機を超えるアメリカ機動舞台に襲撃され、高角砲24門、機銃156挺、  15.5cm副砲6門で対空砲火を浴びせた。
     主砲は爆圧で対空砲火戦闘員に影響がないよう、三式弾の発射は出来ないまま、1時間30分  の間に10発の魚雷と23発の直撃弾を受け、最後の10発目の魚雷によりそれまで6度の傾きで保  っていた大和は更に傾き、主砲砲塔の数百発の砲弾が滑り出し、弾火薬庫に誘爆、300mに及ぶ  火柱を上げ、それがきのこ雲となって高度6,000mまで吹き上がり、船体が裂けて午後2時23分、  2740名の乗員と共に沈没した。生還したのは約1割であったという。

    世界の主力戦艦の2倍近い排水量と、世界の主力戦艦の搭載砲である40cm砲に耐える防御能 力しか持っていないアメリカ海軍軍艦を沈めるべく、すでに試作されていた48cm砲より若干小 さいが、余裕を持たせた46cm砲を搭載した戦艦を建造。口径では6cmの差だが、破壊力は1.6倍 にもなった。
     ちなみにアメリカが40p砲が最大だった理由は、パナマ運河を航行できる幅が33mで、この幅 で搭載できる砲の限界が、40cmだったことによる。
     当時世界最強のアメリカ海軍40cm砲搭載主力艦のスペックは、舷側水平装甲30.6cm、甲板装甲 は19.6cm、40cm砲有効射程距離は約30kmであった。

    ■大和のスペック■
     1)砲塔関係
     主砲46cm 砲3連装砲塔3基(前に2基、後ろに1基)9門(1門につき砲弾100発、計900発  搭載)、15.5cm副砲3連装4基、12.7cm高角砲2連装6基、5mm 2連装機銃12基、13mm4連装 機銃4基搭載。
     主砲は1,340kg(2,000ccクラスの車1台に相当)、長さ1.95m、直径46cmの九一式徹甲弾を 330kgの炸薬で最大41kmまで飛ばすことが出来、35km離れた23cm厚の甲板などの水平鋼板や 30cm厚の舷側などの垂直鋼板を貫通する威力があり、130,000馬力相当の破壊力があり40秒間  隔で9砲弾を一斉射撃出来る。
     砲弾は初速780m/minで打ち出され、毎秒60回転し、亜成層圏を通過して40km先に90x400mの  範囲に集中落下させることが出来た。これは当時のアメリカ海軍主力艦の3倍の命中率であ  る。加えて三式弾という一種の榴散弾を発射でき、航空機を一網打尽に撃墜することも出来  た。
     砲身は長さ20.7m、160トン。これを3門搭載する砲塔は、1基あたり3254トンにもおよび、  3基で10,000トンにまでなった。
     高さ20m、7階建て相当の砲塔前部の装甲厚は65cmで、アメリカ海軍40cm砲主力艦の40.6cmを  大きく上回った。
     砲弾は従来は横積みであったが、大和では立てたまま格納運搬でき、格段の装弾速度を可能  にした。
     48個のローラーで支えられた砲塔の旋回には、1分30秒で180度回転させる能力を持つ2,000馬  力相当の水力原動機が2基備えられていた。
     爆圧は、1門の砲撃で35m離れた乗員の被服を破り、全9門の射撃では54m離れた所で同様の  状況を生じさせた。
     そのためボートや飛行機は艦内に格納し、砲塔付きでない高角砲や機銃などは爆風よけの風  防をかぶせなくてはならなくなった。
     しかし、後に追加された大量の風防無しの機銃が敵機を迎撃している際は、46cm砲が使えな  いという欠点が生まれた。

     2)排水量:基準排水量64,000トン。
     3)サイズ:全長263m、最大幅38.9m。
     4)出力
      軸出力153,500馬力
      蒸気タービン方式で、12基で153,500馬力を得、4基4軸のタービンで推進。
     5)速力
      27ノット(時速約55km)
      船首の球状船首(バルバス・バウ)で8%の走行抵抗を減らし、アメリカ主力艦の28ノッ   トに相当する速力を得ることが出来た。
     6)航続力:16ノット(時速約30km)で13,000km
     7)乗員
      2,300人(後に3,000人までup)。各人にはベッドが与えられ、エアコンも装備、主要部で   は27度以下に保たれていた。
    8)防御能
      46cm砲弾を20km先から10発以上打ち込まれても沈まず、魚雷は2本同じ舷側に受けても注   水バランスを取り、戦列を維持出来るだけのものを持っていた。
      これは致命的な設備や機械類を直接防御区画(主要防御区画)に入れ、主要でない設備は   間接防御区画(防水区画)に分散させるという新機軸を採用したおかげである。
      主要防御区画は巨大な箱で、艦の中央部を上面が20cm、側面が41cm、前後面が30cm厚の鋼   鉄で完全に囲われており、厚さ20pの装甲鋼板はVH鋼といわれ、通常砲弾が直撃しても   砲弾自体が潰れ、高度1,000mから1トンの徹甲爆弾が投下されても耐えることが出来た。
      間接防御区画は防水区画を1047区画設け、1区画に着弾炸裂しても損害や進水が他の区   画に及ばない造りになっている。
      ちなみに兄弟艦の武蔵は魚雷20本、命中弾16発、至近弾16発を受け、大和は命中魚雷10本、   命中弾23発を受けても沈まず、最終的には艦内の砲弾や爆薬の誘爆を起こして沈んだ。

    Dec.29.1999(Dec.30.1999 改訂記載)
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