■ 日本酒資料館 ■



ここに載せている資料集は私が何か書く時のため、資料となるものを書きためたものです。
本で読んだもの、蔵元へ足を運んで伺ったものなど、様々なものがあります。
すでに出典を探し出すのが難しいものもあり、その点、ご了承下さい。

掲載内容一覧
  1. 日本酒の表示と種類
  2. 日本酒が出来るまで
  3. 日本酒に関する用語集
  4. 日本酒関連参考事項
  5. 日本酒造りの歴史
  6. 利き酒の方法
  7. 利き酒に関する用語集
  8. 日本酒関係の集まり
  9. 日本酒関連リンク
  10. 蔵元&銘酒コーナー
  11. 全国新酒鑑評会金賞受賞酒リスト(平成元年〜4年&10年度の一部)
  12. 美酒ライブラリー
日本酒の表示と種類
(1) 大吟醸酒
吟醸酒の中でも、特に高精白(精米歩合50%以下)のもの。 平成10年時点で最高精米歩合は23%で、山口の旭酒造、獺祭(だっさい)。 毎年5本仕込まれている。新岩国から車で40分、小学校の全校生徒が12名という様な地。
(2) 吟醸酒
精米歩合が60%以下の白米を原料とし、低温醗酵などのいわゆる吟醸造りをした清酒で、 固有の香味がある。純米タイプと本醸造タイプがある。
(3) 純米酒
精米歩合70%以下で、白米・米麹のみを原料としたもの。
(4) 本醸造酒
精米歩合70%以下で、白米・米麹、それにアルコール分95度換算で、 白米重量の10%を超えない範囲の醸造アルコールを原料としたもの。 白米1トンに対し、120リットル以下、つまり、一瓶のお酒に対し、 25%程度加味したもの。 醸造アルコールとは、廃糖蜜というサトウキビのカスを蒸留させて 作った無味無臭のエチルアルコール。これを加えることにより、 純米の重さを抑え、爽やかな辛口を保つことが出来るとされる。
(5) 普通酒
本醸造の限度以上のアルコール添加を行った清酒。アルコールを大量に使用した酒を通常示す。 戦時中、米不足に対する政策としてアルコール増量(三倍増醸)法が生まれ、 戦後も継続されて現在に至る。醸造アルコールは無味無臭なので、糖類・有機酸(水飴や化学調味料) などを添加する。現在は少なくともラベル上からは三倍増醸酒は姿を消し、三増調味酒として その名を残す程度。
(6) その他のお酒
1) 生酒
通常、清酒は搾って濾過した後と熟成して出荷する時に加熱殺菌(火入れ)を行うが、 その処理を行わないものを言う。全く行わないものを本生(ほんなま)、 あるいは生生(なまなま)と言い、火入れしてから貯蔵、出荷時には火入れしないものを生詰め・ 後生(あとなま)と言う。 火入れせずに貯蔵し、出荷時に火入れするものを先生(さきなま)などと言う。
2) 生もと(きもと)
昔ながらのもと(酒母)造りの方法。現在は乳酸菌を加える速醸系酒が主流。 半切桶に蒸米と麹と水をまぜ櫂ですりつぶす山卸(やまおろし)という作業を行い、 自然の力で酒母と乳酸を育てる。欠点は、長い日数を要するという点。
3) 山廃もと(山卸し廃止もと)
生もとの一種。山卸しせず、より自然の力で酒母と乳酸を育てる。 「生もと」も「山廃もと」も腐造(ふぞう=腐敗)の危険性があり、非常に難しい。
4) 貴醸酒
仕込水の代わりに清酒で仕込む、濃厚甘口な酒。
5) にごり酒
醪を荒く濾して造った酒。どぶろくのような乳白色の濁りがある。
6) 赤酒
赤麹の色素を利用して造った酒。現在でも九州の瑞鷹の東肥蔵で作っていて、 おとそや料理酒料としてこの赤酒を使っており、その関係で全国的に販売されるようになった。 この蔵では飲用と調味用とアルコール度数を変えて出荷しており、他には出雲地方でも作っている。
7) 長期熟成酒
二夏以上越した古酒。 ちなみに新酒と呼べるのは、7月から翌6月の酒造期につくられ、その間に売られた酒で、 それを越えると古酒と呼ばれる。
8) 樽酒
木香を楽しむ為に杉樽で香気をつけたもの。昔はたいてい杉樽を使用。

日本酒が出来るまで
(1) 精米
玄米の外側には良い酒を造るためには邪魔なタンパク質や、脂肪を多く含んでいる。 それらを削り落とすため、精白という作業をを行う。
食用には大体精米歩合90%だが、吟醸酒は35%〜60%に削る。
1,500kgで55%まで精米するには36時間位、35%で72時間くらいはかかる。
なお、精米については見掛けと真性があり通常は投入米から米糠を引いた見掛けだが、
真性で本当に35%に精米すると、見掛けでいうと30%位に相当する。

江戸時代以前、酒造米は現在のようにすべて精米して使用されていたわけではなく 掛け米のみ精白した「片白(かたはく)」が一般的で、麹米・掛け米共に精米した 「諸白(もろはく)」は高価で、良酒の代表格であった。

精米は江戸時代までは人力による杵搗、江戸時代中期からは水車による杵搗が主流であった。 明治末期に現在の食用米の精米機と同じ原理で、米と米の摩擦を利用して糠を取る横型精米機を アメリカより輸入。しかしこれでは精米歩合に限度があった。
だが、昭和初期に開発された竪型精米機は金剛ロールで米を磨くことにより、 米粒全体の外側をグルリと削り取ることができ、不用な胚芽や胴溝がきれいに取れ、 原型のまま米が小さくなる「原型精白」が可能になった。

操作のポイントは、金剛ロールの回転数、給殻弁の調節による精白室への米の供給量、 抵抗などで、基本的には回転が早いと米の長い部分が、遅いと横の部分が削られ、 抵抗が大きいと米の横の部分が、小さいと米の長い部分が削られる。
普通、精米の最初は胚芽を飛ばすため、回転を早くし、抵抗をかける。 それから漸次回転と抵抗を落として行き、胴溝を取るようにする。

(2) 洗米
精米したあとの白米に付いている糠を洗い落とす作業。 吟醸酒以外の米は洗米機にかけて洗うことが多い。
(3) 浸漬(しんせき)
白米に吸水させる作業。その時間は米の品種や精米歩合によって数分〜数十時間とまちまち。 高精白のものは時間を計りながら(大体5分から10分。菊姫では7分)浸漬をかねて洗米を行う。 能登流では15秒漬けては上げるという限定吸水法が採られている。

菊姫では10kgの米が13kgに、つまり30%水分を含ませる「洗米後重量」を参考にする。
水温は大体4〜5℃以下が良いとされる。
流派にもよるが、翌日蒸す分だけ洗米、浸漬を行い、一晩ムシロに広げられ、水抜きする。 そのまま蒸米に入る場合もある。

余分な水が切られ、吸われた水が均等に行き渡っているかどうかは、手に取り、 サラサラ落ちて行くかどうか、潰して中心までしっとりとしているかどうかでチェックする。

(4) 蒸米(ふかし)
水切りをした白米を蒸して糖化しやすくする。蔵では毎朝ふかしが行われる。 和釜の湯を沸騰させ、甑と呼ばれる蒸し桶に蒸気を吹き込む。

麹米とは別に、後で醪(もろみ)を増量していく際に用いられる掛米も平行して蒸される。

蒸す時間はおよそ60分から70分。
初めちょろちょろ中ぱっぱ、の炊き方はご飯の時と同じ。炊きあがったお米は、外硬、内軟が良いとされる。
放冷の方法として、30分包んで広げ、30分置いてまた包むという方法があり、これを波返しと言って、 戦前行われていた。
この蒸す作業を始めるのを甑(こしき)起こし、終えるのを甑倒しと言う。

(5) 製麹(せいぎく)
温度28〜30℃、湿度60〜70%に保たれた麹を作る麹室で、玄米に菌を植え、胞子を付けた カビの一種である麹菌(種麹、「もやし」とも言う)を蒸米に撒き、混ぜ、麹米を造る。
この作業を床揉みと言う。

麹菌には確認されているだけで50種類を超える酵素があり、その代表的なものではデンプンを 糖に変えるジアスターゼと同じ作用のあるαアミラーゼ、タンパク質をアミノ酸に分解する プロテアーゼ、脂肪を分解するリパーゼなどがある。
布をかけて1昼夜ほど保温の後、麹蓋という箱の中に分けて入れ、麹を育てる。
麹の温度を一定にするため、麹蓋の位置を変える作業を積み替えと言う。
仲仕事とは、麹を再び撹拌し、水分を均等に発散させる作業。
最後の麹撹拌作業を仕舞い仕事と言う。

仲仕事から仕舞い仕事までの間に大体34℃から37℃に麹の温度は上昇する。 この時が一番、雑味の元になるアミノ酸をつくるプロテアーゼが出易い。 従って、室温を上げて一気に麹を乾燥させ、締まった麹を作る方が酒が澄んで、 切れの良い緊張感が出る。
しかし乾燥しきって、ガリガリの麹になる恐れもある。
蒸し米の所々に白い斑点を破精(はぜ)と言い、麹菌が繁殖して、菌糸が食い込んでいる状態を指す。 この麹の形状によって突ハゼ形、総ハゼ形、バカハゼ形、ヌリハゼ形、などと呼ばれる。

総ハゼは蒸米の表面全体、および内部にも菌糸が相当深くハゼ込んでいるもので、糖化力、 蛋白分解力ともに強く、分解 速度も早く、酒母麹、または濃醇酒、山廃等に適す。
突きハゼは表面にハゼていない部分を残すが、ハゼている部分は盛り上がり、内部へのハゼ込みは深い。 糖化力やタンパク質分解力は総ハゼには劣るが、その分、端麗な酒造りが出来、吟醸酒にはこちらの方が適す。
ヌリハゼは総ハゼと表面上は同じだが、ハゼ込みが浅く、力の弱い麹となり、米の溶解が悪く、 時として腐造の原因にもなる事がある。
バカハゼは蒸米が水分過多で柔らかすぎ、ハゼ込みが米の中心まで到達したもの。
手で簡単につぶれてしまい、粉々になるものと、粘着性をもってつぶれるものがあり、 後者をメシ麹と呼ぶ。味が汚く、腐造になりやすい。

その他、蒸米のままハゼていないハゼ落ちや、通称納豆菌と言われる枯草菌という雑菌が 繁殖してしまったヌルリ麹(=すべり麹)が出現する事がある。

麹の温度調節の為に米粒をバラバラにほぐす作業を切り返し、1昼夜おいて出来上がった麹を 麹室から搬出し、布に広げる作業を出麹と言う。
切り返しは、品温が下がりすぎないように、急いで行う。こうして1日放冷されるのを枯らしという。
麹は米のでんぷんやタンパク質を分解する酵素を豊富に含んでいる。
一麹、二もと、三造りと言って、通常、一番良い米が麹米に使われる

(6) 酒母(しゅぼ=もと)
酒母とは酒の原料の醪(もろみ)を醗酵させるのに必要な酵母を培養したもののこと。
速醸系と生もと系があり、速醸系ではもと桶に麹米と水をまぜ、最初から酵母と乳酸菌を添加し、 蒸し米を投入して櫂を入れ、酵母を培養する。この作業をもと立てと言う。

乳酸菌はその酸によりバクテリアなどの雑菌を抑える働きがあり、これを開発したのは明治末年、 国税庁醸造試験醸技師、江田鎌治郎だが、これより数年前、新潟の「お福酒造」の初代岸五郎 (東京高等工業、後の東工大の応用化学を専攻、パスツールの発酵論を読み、醸造学の研究を重ねた)が 乳酸添加を実演して見せている。
現在ではこの人工的に培養した乳酸を添加する速醸もとと高温糖化もとが主流。その他中温速醸もともあるが、 現在はほとんどこの方法は使われていない。

速醸系もとの酒質は、ソフトでありながら喉越しが少々もたつき、酸が少ないので甘味がより表に出、 腰のない味わいになりやすい欠点がある。
生もと系は、古くから行われていた方法で、5℃前後の低温の部屋で、半切りという桶に入れて 何時間もかけて蒸米と麹に水を加えて櫂ですりつぶす山卸しという作業を行い、天然の乳酸菌と 硝酸還元菌を育てた。

そのため酒質は濃厚芳醇ながら喉越しがスッキリとしていて、酸が効いているので日本酒度の データ以上に辛口に感じ、押しの強い味わいになる。
山廃は生もと系だが、精米機が発達した事で精米率を上げられ、麹の酵素が米の中心に入るようになり、 「櫂でつぶすな、麹で溶かせ」の格言が実行できるようになって、蒸米が麹の酵素の糖化力によって 自然に溶けるのを待って天然の乳酸菌と硝酸還元菌を育てる方法がとられ、山卸しを廃止したので、 山廃(やまはい)と言われている。

いずれにしろ生もと系は腐造になる危険性があるので、厳重な温度管理が必要。
低温にすることで酒母造りの初期に硝酸還元菌というバクテリアが増え、亜硝酸を作り、 同時に低温で繁殖する乳酸菌(ラクトバチルスサケ、ロイコノストックメッセンテロイデスの二種類) も増え始め、バクテリアは乳酸で死滅、不必要な野生酵母は乳酸によって酸性になった状態で 亜硝酸によって死滅。乳酸菌も自ら作った乳酸で死滅し、pH3.5の酸性の雑菌がなく、米の でんぷんが麹の酵素によりデキストリン(のり)からブドウ糖に変わっていく糖化が進み、 酵母が投入され、酵母による醗酵が平行して行われる併行複醗酵が行われる状態となる。

糖化を進めるには温度が低すぎてもうまく行かず、湯を詰めた樽(暖気樽:だきだる)を 用いてかき混ぜ、部分糖化を促す。容器の下に電気あんかを入れる方法もあるが、スイッチを 切っても容器のそこが熱く、微妙な温度管理ができない欠点がある。

この酒母育成に要する日数は速醸系では1〜2週間だが山廃では26〜30日間。

(7) 仕込み
酒母に、さらに蒸米、麹米、水を加えていく方法。三段仕込みは、これを三回に分けて増量していき (それぞれ、初添え・仲添え・留添えと言い、仕込量の比率は加賀の菊姫などでは1:2:3)、 酒母の酸やアルコールや酵母の密度をいきなり薄めないようにして、雑菌の汚染を防ぐ方法。 これにより酒母は最終的に仕込総量の7%程度まで薄められる。

初添えは、もと桶から枝桶に移して行われ、流儀にもよるが基本的には初添えと仲添えの間に一日休みがあり、 これを踊りと言う。仲添え以降は大きなタンクに移してから行う。
最後の留め添えの時が一番醗酵熱が出易く、温度管理が大変。

一つのタンクの中で、麹がでんぷんを糖に変え、酵母がその糖をアルコールに変えていくという、 併行複醗酵は、世界的にも類を見ない日本独特の技法。

醸造アルコール添加の酒(三倍増醸酒や本醸造酒など)は、上槽直前に醪(もろみ)に アルコールを添加する。
昔は醪(もろみ)の泡が吹き出さないように泡番といって泡消しを行っていた。
8℃〜10℃の低温で、普通酒で留め添え後25日、吟醸酒で30日かかって醪は熟成する。

近年泡無し酵母が開発され、泡が立たず、仕込もタンクいっぱいにすることが出来るようになったが、 泡の形状や色、艶を見ながら醪の状態を把握してきた杜氏の経験と勘が活かせなくなって来つつある。

1) 筋泡
醪初期に数条表面に泡が見られるようになり、「筋泡二本」 などと言って、醗酵が開始されたことを表す。
2) 水泡
留後数日経って白く軽い泡が出現。 醗酵は弱いもののこの時点が一番糖度(ボーメ度)は高い。
3) 岩泡
高泡の初期で、醪の温度も上昇、泡は岩の形に似てくる。
4) 高泡
留後7〜8日目くらいで岩のような凸凹が無くなり、全体に泡が高くなった状態。 糖化がどんどん進み、醗酵が追いかけるように進んでいる。
5) 落泡(引泡)
泡の一つ一つが大きくなり泡全体の高さが低くなってくる。 醗酵が糖化に追いついた状態を示す。
6) 玉泡
泡が玉状になり、前玉泡、本玉泡、小玉泡と次第に泡が小さくなってきて、吟醸香が漂い始める。
7)
醗酵も終末を迎え、坊主、チリメン泡(小玉)、厚蓋、飯蓋、灘のクソ蓋などと表現する。 温度管理が悪いと、つわり香(か)と言って、悪い香りが付いてしまう。

ちなみに醪の温度変化は、1日0.5℃以内に収めるよう、努力する。 参考までに、醪に糖類を添加せずに甘味を付ける方法として四段掛けがあるが、更に五段、 六段と行っている蔵として現在では北雪が有名。

この四段目にも酵素を用いる酵素四段と、甘酒を用いる甘酒四段、粳米を用いる粳四段、 糯米を用いる糯四段などがある。
(8) 上槽(槽掛け:ふながけ)
泡がほとんどなくなり、品温も下がりだした頃、糖化と醗酵のバランスを見ながらアミノ酸量、 アルコール度を参考に、ほとんど杜氏の感で頃合を見極める。 菊姫などでは留添えから地までの日数と同じだけ地から上槽までの期間をとる。

醪を搾る道具を槽(ふね)と言う。この工程を槽掛けと言い、その工程を行うリーダーを 槽頭(ふながしら)と言う。

上槽の方法は、連続して搾れる自動圧搾機を使用する方法、袋に入れて槽の中に積み上げて搾る方法、 醪を入れた袋を小さなタンクの上部に吊り下げて採る 首吊り(袋吊り)などがある。

吟醸醪は酒袋(大体10リットルずつ入る)に入れられ、2日間かけてゆっくり上槽される。
この酒袋による臭いを袋香(ふくろが)と言う。
この匂いが付いた袋は、まず過酸化水素水で洗い、その後良質な洗剤で洗う必要がある。
槽から圧力をかけずに自然に出てくる白濁した最初の酒を、荒走りと言う。
上槽の方法も流儀によって違うが、越後流では徐々に圧力を加え(中垂れ)、1昼夜酒袋の 位置を変えて更に搾り、この最後の作業を責めと言う。

能登流では槽いっぱいに袋を積み上げ、自然にゆっくり流れてくるのを「中取り」と言い、 槽の上に圧板を乗せて水圧をかけ、この時に出てくる酒を「押切り」と言う。
この3段階の酒は、それぞれ段階に分けて斗瓶(18リットル)に移される。
こうして醪(もろみ)は酒と酒粕に分かれる。
(9) 滓引き
しぼった酒のにごりを沈澱させて抜き取る作業。
斗瓶に集められた酒は、1週間ほどすると滓が沈澱し、この滓を残して澄んだ部分を採取する。
こうして搾られたばかりの酒が、新酒の生酒。アルコール度数が高く、フレッシュで香りも強い。
全国新酒鑑評会の出品酒は、この新酒の中から選ばれる。

(10) 濾過
タンクに活性炭素を入れて酒の雑味や色を吸着させ、その後濾過機にかける作業。 しかし使いすぎるとのっぺりとした炭臭い、しかも水っぽい酒になる。
(11) 火入れ(加熱殺菌)
通常酵素の働きを止めるため、65℃くらいに加熱する。 清酒には防腐剤や保存料を添加しないので重要である。
瓶詰めして酒造りをすべて終えるのを、皆造(かいぞう)と言う。
(12) 貯蔵熟成
熟成期間は1ヶ月から1年。中には何年も経った古酒もある。

熟成の度合いを見る方法として、アミノ酸とグルコースが反応して生成されるメラノイジンの 中間生成物質である3-D-G(3デオキシグルコサン)がある。
適熟の分析濃度は0.24〜0.38mM。能登流では0.15を15歳というふうに表現する。

出荷の前に、もう一度濾過、火入れを行う。これを行わないものを「冷やおろし」または 「あと生」などと言う。
初呑み切りは寝かせて貯蔵してあるタンクを初めて開栓し、利き酒を行うこと。 大体、7月上旬に行われる。
醸造試験場の先生や、税務署関係、卸問屋、それに酒造責任者の杜氏が郷里から駆けつけ、 タンクごとに酒質や熟成度をチェックする。
大吟醸クラスは、瓶詰めにして低温貯蔵し、涼しくなった9月末頃に初めての 出荷が行われることもある。

日本酒に関する用語集
(1) 松尾様
代表的なお酒の神様。京都に松尾大社がある。他に三輪山にもお酒の神様が祭られている。 各地に松尾様が祭られている。
(2) 杉玉
新酒が出来ると、蔵は入り口に新しい杉玉を飾って知らせた。 新酒を扱うお店でも、杉玉を飾るところがある。
(3) 宮水
西宮の水、すなわち宮水。天保年間に山邑(やまむら)太左衛門によって発見された。
彼は灘の桜正宗の蔵元で、西宮と魚崎の二カ所に蔵を持っていたが、なぜか西宮の酒がいつも勝っていた。 杜氏を取り替えても結果は変わらない。
そこで、西宮の梅の木井戸の水を魚崎で使ってみたところ、西宮と同じ酒質のものが出来た。
以来、二斗樽に水を詰め、かれは牛車に引かせて魚崎まで運んだという。

酒に良い水は、着色と香味の妨げになる鉄やマンガンが少なく、麹菌と酵母の働きを活発にし、 醪での醗酵が十分に行われ、切れの良い酒を造るのに必要な無機質、リン、カリウム、マグネシウムが 豊富で、酒母や醪、麹から酵素の抽出を助け、強い酵素力を持たせるカルシウムやクロールが豊富である事 が条件。ちなみに酒造用の水の鉄分は、水道水で0.3ppm以下。酒造用水では0.02ppm以下。宮水は0.005ppmと 非常に低い値を示している。
宮水で仕込むと湧きが強く、辛口で出来たては荒々しいが、時が経つにつれて丸みが出、暑い夏を越しても 味が落ちず、秋になって旨くなる、秋上がりの酒、秋晴れのする酒と言われている。
(4) 付け香(つけが)・着香(ちゃっこう)・やこまん
醪の時によく発散する吟醸香(ぎんじょうこう)を抽出し、出来た酒に混ぜる。こうして付けられた香りは、 栓を開けたときは良く薫るが、1週間もすると抜けてしまうう。 口に含んだ時には良く発散するが、かすかにセルロイドのような異臭が付くので、慣れると見分けがつくようになる。
マイナス5℃前後で吟醸香を持った気体を冷やすと液体になる。
火入れ前後で添加することによって付け香を行う。
この方法を開発したのは、醸造試験所の3人の学者で、その頭文字をとって「やこまん」とも言う。

(5) 桶買い
20万石以上もの石数を誇る灘や伏見の大手酒造メーカーは、全国の零細酒造メーカーに造らせ、 それをかき集めてタンクに入れ、自社銘柄として販売した。
近年大手メーカーは機械化し、それまで行っていた桶買いを止めたため、桶買いでもっていた 地方の零細酒造メーカーは、倒産が相次いでいる。

(6) 日本酒度
酒の比重を表したもの。酒の甘さ、辛さだけでなく、醪(もろみ)の醗酵状態を知るための指標となる。 仕込んだばかりの醪は糖分が多いので、比重も大きく、マイナスを示す。 醗酵が進み、酵母が糖を消費すると日本酒度はプラスになり、アルコールも増える。
(7) 酒造好適米
大粒で、心白(でんぷんが不規則に集まっている中心部の不透明な部分)が大きいものが良いとされる。
戦前までは新潟を中心に各地でみられた亀の尾(新潟の亀の翁)、現代では山田錦(酔鯨、YK-35など)、 美山錦(浜千鳥など)、五百万石(朝日山など)、雄町(おまち:酒一筋の赤磐雄町が有名)、オオセト(綾菊)、 八反錦(賀茂鶴)、北錦などがある。
(8) 山田錦
酒造好適米の一つ。1メートルを越す長稈(ちょうかん)、 大粒の籾。千粒重27g。蛋白や脂肪が少ない。
大吟醸の8割がこれで造られていると言われている。
明治末年から定評のあった大粒の「山田穂」を母、丈夫で短稈(タンカン)で心白の多い「短稈渡船」を 父親として人工交配を行い、大正12年から試験栽培。昭和11年、兵庫県の酒米の奨励品種となり、 「山田錦」と命名された。
寒冷地での栽培は難しいくせに、昼夜の温度差があって(特に出穂期に15℃以上の寒暖の差が欲しい)、 棚田のような山麓地帯に育つ。主に兵庫県、福岡 県で栽培される。
生産量は昭和62年度で9,000トン(15万俵)、酒造場からの申込は13,500トンにも達し、 66.9%しか充足できていない。
これを使用した銘酒としては、真澄の夢殿、酔鯨、北雪(YK-35)などがある。

(9) 赤磐雄町
嘉永4年、高島村雄町の岸本甚造が大山参拝の帰路、偶然に珍しい品種の米を発見、これを持ち帰って 栽培したのが始まり。
赤磐郡をはじめ、当地一帯で栽培されたためにこの名がある。
明治の末から大正、昭和にかけて一世を風靡したが、農業の近代化と共に、栽培面積が減少してしまったので 「幻の米」と言われている。
現在、この米を復活させ、酒造米として再び使用しているメーカー(酒一筋など)がある。

(10) 亀の尾
明治26年、庄内地方の篤農家、阿部亀治が発見、育成した米。
「不世出の名品種」と謳われ、大正から戦前まで東北・中部地方全域で栽培され、 作付面積も最大を誇り、食用として旨い米の代表と言われていた。
しかし良い酒米の常として穂が重く、茎が長いため倒伏しやすく、虫害に弱かったため廃れ、 これを改良したササニシキやコシヒカリに取って代わった。酒造好適米としても重宝され、 五百万石の祖先でもある。
しかし、「清泉」の蔵元、久須美酒造専務、久須美記廸(くすみ のりみち)氏が地元新潟県寺泊の 野積杜氏の長老、河合清さんが「昔、亀の尾で仕込んだ吟醸ほど見事な酒は、後にも先にもなかった」
と述懐したのを聴いて、幻の銘酒の種子を昭和55年農林試験場に捜し求め、1,500粒の種籾を自ら蔵の 側の小島谷の田に撒き、3年後現代に復活させた。
→コミック「夏子の酒」参照

(11) 千粒重(せんりゅうじゅう)
千粒の米の重量。山田錦は27g。通常米は多くて24g前後。 千粒の種籾で約18坪分の苗が出来る。そこから約22kgの収穫が得られる。
1反の田を埋めるのに必要な種籾は、およそ3kg。
ちなみに、一俵は60kg。

(12) 協会酵母
醸造試験所で試験を繰り返し、優良と認められた酵母が日本酒造協会を通して 「協会酵母」として全国の酒造家に配布された。
第一号は明治39年。以後平成元年現在、13の協会酵母があり、頒布されているのは 6号から13号まで8種類。
平成元年の時点で、協会供給酵母の占める割合は4%。
1) 協会3号酵母
広島県三原市の「酔心」の新酒から大正3年に分離された。 この酵母により酔心は大正8、10、13年に最優秀賞を受賞している。
2) 協会6号酵母
秋田県の「新政」の新酒から昭和5年、大蔵省醸造試験場技師小穴富司雄 により分離、昭和10年より頒布開始された。
3) 協会7号酵母
諏訪の「真澄」から昭和21年、大蔵省醸造試験所の山田正一、塚原寅次技師らが分離。 平成元年の時点で、協会供給酵母の65%を占める。
4) 協会9号酵母
大正7年、熊本税務監督局鑑定部長の野白金一氏の為に熊本県下の酒造家が共同出資して 設立した「熊本県酒造研究所」の香露より昭和28分離、登録された。
吟醸酒における使用率が83%にも達する、鑑評会用として欠かせない酵母。
5) 協会10号酵母
仙台国税局鑑定官室長の故・小川知可良氏により集められた東北地方の吟醸醪 (青森県八戸の八鶴酒造が元か?)から純粋分離されたもの。
低温長期型の醪造りで威力を発揮し、酸度の少ない、きめ細かな香気を醸し出す。 氏は退官後、水戸の明利酒造株式会社の社長となって昭和33年頃から使われ始めたので 明利酵母とも言われ、昭和52年に登録頒布されるようになった。

6) 協会11号酵母
7号酵母の中から選ばれたアルコール耐性酵母。 普通、清酒酵母はアルコール度数18度以上で死滅率が上昇、 アミノ酸量が増加するが、この酵母は20度以上でも死滅率が低い。
7) 協会12号酵母
宮城県塩釜市の浦霞から分離・培養され、頒布されている。 名杜氏・平野左五郎氏とその甥の平野重一氏による吟醸蔵として有名。
8) 協会13号酵母
協会9号酵母と10号酵母を交配させて作り出された、9号と10号の特徴を併せ持つ酵母。
9) 泡無し酵母
高泡が立たず、一つのタンクでの仕込量が増えることから、愛用されている酵母。 協会6、9、10号酵母から分離され、それぞれ601、901、1001号として頒布されている。
10) 秋田流・花酵母
秋田県醸造試験場と秋田県の清酒メーカーが共同開発した、香気豊かな新しい酵母。

日本酒関連参考事項
(1) 一本の穂につく籾の数
コシヒカリで約100粒
(2) 酒造りの期間
10月の入蔵〜5月連休の前の皆造(かいぞう)まで泊まり込みで酒造りを行う。 入蔵と同時にタンク、桶、麹室、槽、甑など隅々に渡るまで大掃除を行う。
(3) タンク1本仕込む米の量
最低600sくらいは必要。
(4) 酒造蔵に関すること
小さな蔵では500石程度。(1石は10斗、100升、1000合、180リットル)
地方の中規模蔵では2000〜3000石。
機械に頼らず、人の手だけで酒造りをすると、蔵人一人に対して100石が限界。
現在日本には2000ほどの蔵があるが、年々減少している。この15年で1000蔵減。
(5) アルコール代謝
一般に日本人はアルコールに弱いとされている。
比較的小量の飲酒で赤くなり、動悸や頭痛などを生じる割合は、ほぼ65%。
このうち強度フラッシャーを来す割合は44%、軽度のものは21%である。
アルコールはまず胃で20%、残りは小腸で吸収され、肝臓でアセトアルデヒ ドに分解される。これを分解代謝する 経路が二つあり、アルデヒドデヒドロゲナーゼにより酢酸が生成されるが、ミトコンドリアによるMEOS(メオス)回路は、 鍛えることにより数倍まで働くようになると言う。
アルコールにより最初に麻痺するのは大脳の新皮質にある抑制機構である。これは主として「知性」を司る。
ついで知覚領域も麻痺し、見当識障害も現れる。更に進むと小脳がコントロールしている筋肉の協調が困難になり、 呂律(ろれつ)が回らなくなったり、千鳥足になる。
間脳にある自律神経中枢の部分麻痺が起こると血圧降下や嘔吐、腹痛、下痢、眩暈、延髄まで及ぶと意識障害や体温低下、 呼吸麻痺を生じ、死亡することもある。
血中アルコール濃度が0.05〜0.10%まではほろ酔い状態で、好奇心が旺盛で、酒や料理の味も正確に評価することができる。
ほろ酔いに必要な飲酒量は、清酒で2合弱(330ml)、ビール1.5本(900ml)、ワイン0.5本、ウイスキー水割り二杯(115ml)である。
アルコールは体内で一時間につき7g代謝され、血中からアルコールが消失するまでには約8時間必要とされている。
カロリーは1gが7calであり、清酒100mlで約100calになる。
(6) 全国杜氏地図(平成元年の時点)
・津軽杜氏(青森:10名)
・南部杜氏(岩手:378名)
・山内杜氏(秋田:46名)
・越後杜氏(新潟:500名)
・小谷&諏訪杜氏(長野:90名)
・能登杜氏(石川:99名)
・大野杜氏(福井:5名)
・越前糠杜氏(福井:25名)
・丹後杜氏(京都:9名)
・城崎杜氏(兵庫:21名)
・丹波杜氏(兵庫:120名)
・南但杜氏(兵庫:15名)
・但馬杜氏(兵庫:252名)
・石見杜氏(島根:6名)
・出雲杜氏(島根:66名)
・備中杜氏(岡山:58名)
・広島杜氏(101名)
・大津・熊毛杜氏(山口:43名)
・柳川・久留米・肥前・生月・小値賀杜氏(九州酒造杜氏組合:77名)
(7) 名杜氏
1) 清兵衛
篠山城跡を中心に広がる、丹波杜氏の中興的存在と言われている。寛政12年 (1800年)、 凶作のため酒造出稼ぎを禁じられたが城主に直訴し、入牢12年の後、赦されて酒造に励んだ。
2) 三浦仙三郎
弘化4年(1847年)、広島は安芸国賀茂郡三津村生まれの広島杜氏の祖。
明治9年(1876年)親戚の蔵を再興させようとして、酒造りを始めた。
しかし最初の4年間は腐造させるなど失敗が続き、明治17年(1884年)には灘の有名な 杜氏を招いて教えを受けるが、良い結果は得られなかった。
 明治26年(1893年)秋、京都伏見の酒造家大八木庄太郎(現「ふり袖」の向島酒造株式 会社社長大八木利治氏の祖先)を招いた際、水には軟水と硬水があること、 灘は硬水で広島は軟水であることを知る。
3) 阿瀬鷹治
兵庫県美方郡村岡町出身の但馬杜氏。昭和4年、24歳の若さで杜氏試験に合格。昭和30年から「梅錦」の杜氏を務めた。
平成元年で85歳と高齢で現役は引退しているが、梅錦を連続12年金賞受賞させ、その名を馳せた。
愛弟子の杜氏数は50人以上。
4) 鶴田百治
秋田県山内杜氏の代表。新政・高清水の杜氏。低温長期型の吟醸醸造の花岡正庸に指導された。
5) 窪田千里
7号酵母で有名な諏訪の真澄の杜氏。
6) 松本寿
9号酵母で有名な熊本「香露」の杜氏。 熊本県酒造研究所の社長で技術者である野白金一氏(島根県の酒造家出身)の指導を受けた。
7) 光増勇
三浦仙三郎の流れをくむ広島杜氏。
賀茂鶴に35年間勤務、昭和49年から16年連続、全国新酒鑑評会で金賞を受賞。
弟子に「土佐鶴」「綾菊」「司牡丹」「富久長」の杜氏がいる。

8) その他の金賞蔵の名杜氏
津村氏(北海道千歳鶴)、鷲頭氏(新潟吉乃川)濃口氏(石川菊姫)、国重氏(香川綾菊)、 平西氏(山口金冠黒松)、末長氏(熊本菊の城)など

日本酒造りの歴史
(1) 古代の酒
日本で最古の酒造の歴史は縄文中期に遡ることが出来る。長野県諏訪郡富士見町の 井戸尻遺跡の高森新道第一号住居跡から有孔鍔付土器が出土、内側にヤマブドウの種子があったため、 ヤマブドウなど液果類を仕込んだ容器と推定された。

また、木の実のデンプンからパンや酒造りをした前・中期縄文時代の生活を示唆する跡が井戸尻遺跡の近く、 曾利遺跡から出土した。

口噛み酒は植物の根茎、特に含デンプン質植物を利用したもので東アジアや南太平洋地域、中南米にかけて分布している。 原料は東アジアでは米、台湾は粟、沖縄は栗、稗、玉蜀黍などが米と共に使われた。中南米では玉蜀黍、 チリでは小麦が用いられていた。
国内では8世紀始めの「大隅国風土記」の「くちかみの酒」のくだりに「男女一所に集まりて、米をかみ、 さかぶねに吐き入れて」と、語られている。
石垣島などでは「三日ミシン」と言って仕込後三日して飲むのが良いとされていた。

(2) 杜氏と酒造りの歴史
酒造りの技術者、現代で言う杜氏が生まれたのは、大化の改新(645年)の頃。播州杜氏が 大和へ出て酒造りを始めたことに由来する。

この頃は大陸から帰化人が宮廷に入り、宮廷用の酒造りの任に当たり、「造酒司府(みきのつかさふ)」では、 14種類の酒が造られ、その原料米の白米だけでも九百石を要したという。
この宮廷酒造とは別に、天平元年(734)には尾張の国で赤米を用いて酒を造ったと「正税帳」に記されている。

他に、越前では奈良の澄酒(すみざけ)に近い、滓の入った酒、広島の三原あたりの吉備の酒などが伝えられている。 これらの酒は、酒米を二度に分けて仕込む、「二段仕込み」の方法がとられていたと言う。

酒造技術は長い間、大陸から渡った帰化人らにより伝えられたと考えられていたが、近年になって、 日本酒に使われる麹カビと、大陸の酒に使われる糖化のためのカビとは種類が異なることがわかり、 日本酒は日本の湿気の多い風土が独自に育てあげたものとする説が有力になった。

酒造りに欠かせない麹造りは、麹座として神社仏閣の収入を支えていた時代もあった。
稲から穫れる米を原料にした日本酒造りは宮廷を中心に広まったが、これは帰化人による 技術アドバイスがあったと考えられている。
彼らは更に技術を身につけ、そのまま宮廷に残ったり、酒造伝承者となっていった。

鎌倉時代に入ると販売するための酒造業を営むものが現れ、建長4年(1252年)、鎌倉幕府は 酒の販売を禁止したが、この時鎌倉中にあった酒壷の数は、37274個にも達したという。
室町時代に入ると、各地に酒造業が興り、応永32年(1425年)に記された京都の 酒造家名簿には 342軒の名前が記されていたという。
ここには京都の他、天野酒、南部酒、西宮酒、越前豊原酒、加州宮越酒などが記されていた。

天正4年(1576年)、奈良の多聞院で麹米も掛米も精米で仕込む、「諸白(もろはく)」が造られている。
それまで多くは、麹は玄米のままで、麹屋が別個に造り、これを買い入れて仕込まれる、いわゆる方白 (かたはく)仕込であったが、この「南都諸白」の三段仕込が行われるようになって、今日の酒造仕込の 原型が出来上がったと見られる。
元禄時代には清酒から焼酎をとり、これを添加することで防腐剤的役割と、品質を整える作用がある
ことが発見されている。
それは「柱焼酎」と呼ばれ、並の諸白を蒸留し、上質の焼酎を醪に一割添加したという。
このことは秋田県の「秀よし」の鈴木文書「元禄時代以来酒造伝記録」に、「酒はさらっとして 綺麗になり、辛口になる」と記されている。

また、「童蒙酒造記(どうもうしゅぞうき)」には、上槽3〜5日前に焼酎を一割ほど醪の 中に入れること、「伊丹万願寺伝流酒造闕疑集(かいぎしゅう)」に上質の焼酎が使用されること、 焼酎臭をとるために、上槽七日前に添加し、醪にその香を吸着させるなどの記述がある。
南都諸白の柱焼酎についても「造酒得度記」に記載されている。

慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の醍醐の花見に加賀の菊酒、麻地酒、南都菩提山  寺と中川寺などの僧坊酒、備前児島の酒、尾道の酒、博多の酒、江川の酒などが並び、その多くが 諸白だったと言う。
諸白を造るには精米が大変な作業であり、当初は蔵人の倍の数の碓屋(うすや)を必要とした。 しかし灘では天明2年頃より六甲山の急流を利用して、米搗き用の水車を回し、作業の労力を 激減させていたという。

灘の宮水が発見されたのは天保11年(1840年)。この水が硬水とわかったのは、明治初年のこと。 京都伏見の酒が女酒と言われ、この宮水とは異なることは酒造家は体験的に知っていた。

明治30年、広島県三津郡の三浦仙三郎の「軟水による改良醸造法」と、その指導により、 明治40年(1907年)秋に開催された第一回全国清酒品評会で広島県の藤井酒造株式会社の「龍勢」 が全国1位になった。
これは広島県産酒造好適米を50%以上に磨いて精白した純米大吟醸酒であったことが「安芸津風土記」 第58号の「知られざる三浦仙三郎」の項で述べられている。
この仕込水は蔵の裏山龍頭山から湧き出す軟水であったと言う。これが吟醸造りの祖である。

利き酒の方法
まず利き酒をする人を、パネリスト、またはテイスターと言う。
いわゆる味の「五味」(甘い・辛い 酸っぱい・苦い・塩辛い)に加えて酒に大切な「旨味」 の判定もしなければならない。(参考:日本酒の味の主体は甘・酸・苦と言われている)
通常舌の味覚知覚部位は、甘味が先端、塩味はそれよりやや奥、酸味は最奥の左右両端、 苦味旨味は最奥の中央で味わう。

味わいの目安の基本は甘・辛、濃・淡、きれいさの三つがあり、これを三特性と言う。

利き酒には色を見るため、磁器製の「利き猪口」が使われる。
その底辺の藍色の蛇の目が酒色を見る判断として用いられる。
普通、青冴えした淡黄色のものほど良く、褐色が強いものは良くないとされている。
貴腐酒、長期熟成酒の場合、吟醸ではあまり滓は出ないが、純米、本醸造酒では滓が下がり、 十年を超えると茶褐色から黒ずんで見えるようになる。

次いで香りをかぎ、わずかな量を口に含む。
息を吸い込んで、舌の上で転がしながら味わう。
口に含んだまま鼻から息を抜き、口中香(含み香)を評価する。

香り・匂いの表現として搾りたての麹ばなというものが「新酒ばな」と言う。
貯蔵していた古酒から生じる匂いを「熟成香」という。
その匂いの主体はフラノンと呼ばれ、貯蔵している間に化学反応によって生じたもので、 中国の老酒に似た香が特徴的である。
「吟醸香」は吟醸造りした酒に特有の香りで、特有なフルーティで林檎のような香になる。 その主体は高級アルコールとエステルである。
また樽材の杉の精油による樽酒の「木香」も昔ながらの捨て難い芳香である。
これらに対して、悪い酒・腐造した酒に多い不快臭として「酸臭」がある。これは醪のアルコール 醗酵が弱くなって、腐造性の乳酸菌の増殖によりもたらされる匂いである。
さらに腐造性の乳酸菌によって出てくる「つわり香」の悪臭の本体は、ジアセチルと言われている。

利き酒に関する用語集
(1) 色に関する用語
1.冴え 2.テリ 3.透明度 4.澄明度 5.光沢 6.ボケ 7.白ボケ 8.混濁 9.蛋白混濁 10.浮遊物  11.番茶色 12.黒い 13.淡麗 14.水の様 15.茶褐色 16.黄金色 17.山吹色 18.色沢濃厚  19.色が薄い(淡色) 20.色が濃い(濃色) 21.色がない(無色) 22.琥珀色

(2) 香りに関する用語
 1.新酒ばな 2.麹ばな 3.吟醸香 4.バナナの香 5.リンゴの香  6.果実臭 7.エッセンス臭 8.エステル臭 9.冷え込み香  10.熟し香 11.糠臭 12.甘酒臭 13.味りん臭 14.甘臭  15.炭素臭 16.濾過綿臭 17.濾過臭 18.紙臭 19.木香  20.うつり香 21.老香 22.焦香 23.アルコール臭  24.フーゼル油臭 25.アルデヒド臭 26.ツワリ香  27.ジアセチル臭 28.冷香 29.火落香 30.かめ臭 31.ビン香  32.酸敗臭 33.腐造臭 34.酸臭 35.酢酸臭 36.酪酸臭  37.かび臭 38.ゴム臭 39.硫化水素臭 40.付け香 41.袋香  42.渋香 43.油臭 44.石油臭 45.粕くさい 46.金属臭  47.かなけ 48.樽臭 49.コルク臭 50.異臭
(3) 味に関する用語
1.こく 2.ごくみ 3.濃醇味 4.にく 5.濃味 6.おし味  7.芳醇な 8.旨味 9.まるみ 10.ふくらみ 11.がら 12.きめ  13.喉越し 14.さばけ 15.引込み 16.後味 17.きれい  18.淡麗な 19.なめらか 20.舌ざわり 21.軽い  22.すっきりした 23.味の調和した 24.なれた 25.若い  26.しっかりした 27.さらっとした 28.さびしい 29.うすい  30.こい 31.あらい 32.熟した 33.重い 34.老ねた  35.くどい 36.だれた 37.ボケた 38.味の離れた 39.甘い  40.辛い 41.すっぱい 42.渋い 43.苦い 44.塩辛い  45.雑味 46.くせ 47.糊味 48.かなけ 49.腐敗臭
日本酒関係の集まり
(1) 日本名門酒会
〒103 東京都中央区日本橋馬喰町1-7-3 株式会社岡永内(TEL:03-3663-0331)
 ※参考:昭和50年、12の蔵元と数十の加盟店でスタート。

(2) 地酒浪漫「銘酒を楽しむ会」
毎年11月に甲信越を中心に、九州は「杜の蔵」などたくさんの蔵元 (1999年は16蔵)を呼んで開催する、「銘酒の会」。
出品酒は1999年は114を数え、金賞受賞酒なども味わうことが出来る。
この会に参加するには、前売りチケットが必要。
200人を超える参加者があり、地方の酒屋さんが開く会としては、トップクラスでしょう。
お問い合わせは「依田酒店」甲府市徳行5-6-1(TEL:055-222-6521)まで。

日本酒関連リンク集
酒半・大門酒造
(Link date 1999.12.30)


酒屋半左衛門・大門酒造のホームページです。蔵でコンサートや寄席をやったり、面白い 企画がいっぱいあります。蔵の見学も出来ます。写真が豊富なので、見ていて楽しいホームページです。
国税庁醸造研究所・ホームページ
(Link date 2000.1.1)


国税庁なんてあると、税金納める身のヒトは敬遠しがちですが、ここ、「醸造研究所」 だけは見なくては損! そう、日本酒の金賞受賞酒などの一覧がずらり!!  飲み助にはこたえられないホームページです。
はらぐち酒店
(Link date 2000.4.25)


福岡県北九州市戸畑区にある、焼酎も詳しいお酒屋さんです。日本酒の品揃えと比較的まだ若い店主と知識が豊富なのには 驚かされます。
油長酒造株式会社
(Link date 2002.12.31)


2002年で一番感動した日本酒が、風の森純米しずく酒。奈良県産のアキツホを使用し、 7号酵母で仕上げた、爽やかでしなやかなお酒。フルーティーさも十分で、 うまみが舌先に広がる感覚は、もうちょっと香りが立てば、かつての松の司の中吟も 顔負けの見事さです。ぜひ、一度ご賞味を!
加茂福酒造株式会社
(Link date 2007.1.7)


柔らかでふくよかな酒質。例年吟醸香が高いタイプが主流だが、近年は少し抑え気味で、旨味がが増した感じがする。「死神」の ラベルの一升瓶がグルッと回って動くWeb Pageが何とも……。
大澤酒造株式会社
(Link date 2007.1.7)


長野の大澤酒造は、旧中山道望月宿と隣の芦田宿(立科町)の間の宿(あいのしゅく)として栄えた茂田井宿にあります。澄み切った含み口と、 その後に口の中に広がる旨味と芳香が見事。飲み飽きない酒質です。

※ご注意:このページに関する記載は、無断での転載等を禁じます。